クラウドシムでむせいげんにインターネットできるかな。

とあるかいしゃがクラウドシムのしくみをつかえば、インターネットをむせいげんで つかえるサービスをていきょうできるんじゃないか?とおもいつきました。

「そうだ。サーバーにシムカードをたくさんさせばいい!」

クラウドシムサーバーにシムカードをたくさんさしておけば、ひとつのシムカードのよう りょうがなくなっても、べつのシムカードをつかってインターネットができるのです。 そのシムカードのようりょうがなくなれば、またべつのシムカードへ、そんなふうに つぎからつぎへとシムカードをきりかえていけるようにすればいいんです!

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「なんてすばらしいおもいつきなんだろう」

とあるかいしゃのしゃちょうはうれしくなりました。 サービスのなまえは【ねてもさめてもワイファイ】にすることにしました。


とあるかいしゃが【ねてもさめてもワイファイ】のサービスをかいしすると、 あたらしいものずきなエーさんとビーさんがさっそくとびつきました。

エーさんはなまえがださすぎるのはきになりましたが、こうきしんがそれにまさり、いそいそと もうしこみをすませました。 ビーさんはたまたまみつけたので、まぁつかえなければやめればいいや、というかるいきもちで はじめてみることにしました。

「これはこうこくにいつわりなしだ!すごい!」

エーさんもビーさんもなんのちゅうちょもなくインターネットをつかいまくりましたが、 いっかげつかん、かいてきなそくどでインターネットをつかいつづけることができました。

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ビーさんはこれはいいものをみつけたぞ、とばかりにユーチューブでせんでんすることにしました。 「ねてもさめてもワイファイをつかってみた!」

「これはすごい。せんでんしてるやつはうさんくさいけど、ためしてみるかちはありそうだ!」

ビーさんのユーチューブをみたシーさんはさっそく【ねてもさめてもワイファイ】に もうしこみました。


つぎのつきには、エーさんはまえのつきとおなじくらいインターネットをつかいました。 ビーさんもまえのつきとおなじくらいインターネットをつかいました。

シーさんは「みせてもらおうか、ねてもさめてもワイファイのせいのうとやらを」 と、あかいひとのようなことをいいながら、インターネットをつかいまくりました。 よんケーのエロどうがをみたり、オンラインゲームをたしなんでみたり、これでもかというくらい つかいまくりました。


「あれれ、なんかへんだぞ」 エーさんがおもわずクリックしたグラビアアイドルのしゃしんが、いつまでたってもかくだいひょうじ されません。

「ちょ、まてよ!」 キムタクとはにてもにつかないビーさんですが、おもわずテレビにむかってこえをあげてしまいました。 ウォーキング・デッドがめっちゃいいところでとまってしまったのです。

シーさんはすんどめになってしまい、もんぜつしました。

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スピードテストをしてみると、ダウンロードがいちメガビーピーエスもでないじょうたいでした。 そして、みたこともないプロバイダにつながっていました。 いつもはソフトバンクにつながっているのに!


「こうなったらかいせんガチャだ!」

さんにんはそれぞれ、ソフトバンクかいせんをつかもうと、なんどもなんどもルーターを さいきどうしました。 でも、いくらやってもソフトバンクにはつながりません。それもそのはず、とあるかいしゃがよういした ソフトバンクかいせんのシムカードようりょうは、もうさんにんでつかいきってしまっていたのです。

かいせんガチャにつかれはてたエーさんは#ねてもさめてもワイファイとハッシュタグをつけて ツイートしました。

「ねてもさめてもつながらないくそワイファイ。ただのぶんちんかよ」

ビーさんはあわててユーチューブにねてもさめてもワイファイをすすめてしまったことへの しゃざいどうがをアップロードしようとしましたが、かいせんそくどがおそすぎてできませんでした。 このままでは、いままできずきあげてきたユーチューバーとしてのしんらいがちにおちてしまう!

シーさんはとあるかいしゃにクレームのでんわをいれました。すんどめをくらったいきどおりをのせて、 とりあえずでんわにでたひとにかみつきました。

「とにかくいやくきんなしでかいやくさせろ!げつがくしようりょうもなしにしろ!」

いっかげつひゃくよんじゅうギガもつかったシーさんは、すべてただにしろとせまりました。

こうして、クラウドシムでむせいげんにインターネットをたのしみたい、というさんにんのゆめは はかなくきえ、すさんだこころとうまいはなしにはうらがある、というきづきをえたのでした。

おしまい。

どうにも片付けられなくて「鬼速片付け」を試してみることにした。

夫婦揃って片付けられない人なんです。

ボクは片付けられない。テレビで見るようなゴミをかき分けて進むような汚部屋になったことはないが、急に人が来たら全力で部屋に入れるのを回避するぐらいの汚部屋に暮らし続けている。

色んな本やネット記事を読み、様々なやり方を試してみたけれど、どうしてもリバウンドしてしまう。あ、ちなみにボクは結婚してるけど、残念ながら夫婦揃って片付けられない人なので、散らかしパワーは2倍、子どもが育つにつれて散らかしパワーは5倍以上になった。対する片付けパワーは微弱すぎて、やってもやっても片付かず、微かな片付け意欲は呆気なく削られ、消えてしまう日々である。

性懲りも無く片付け本に手を伸ばす。

それでも、このままではいけない!とボクはまた新たな本を手にとった。「なかなか捨てられない人のための 鬼速片づけ」である。鬼速ってのはなかなか凄そうだ。めっちゃ早そうだし、片付け意欲が失せる前に片付けが終わるかもしれない。

さっそく読んでみるとそのやり方は驚くほどシンプルで肝になるのは①全部出す②使う、捨てる、保留の3つに分けるの2つだけだった。ほんまにこんなもんで片付けられるんかいな、と疑念が湧いてくる。

手始めにどこかで試してみようと思うのだけれど、なかなか家の中にすべて自己判断だけで片付けられるスペースがない。自分では判断できないものは保留しとけばいいのかもしれないが、保留箱が溢れかえる可能性もあるし、効果を実感しづらいだろう。

しかたない。よーし!やったるでー!と取りかかる前にちょっと落ち着こう。まずはやり方を整理してパッと見て分かるようフロー図にまとめてみた。やはりプロセスはまとめるまでもないほど単純だ。これをどれだけ鬼速でやるか?具体的には手にとったものについて5秒でどうするかを判断するってのがポイントだな。

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鬼速片付けフロー

財布で鬼速片付けを試そうとするも、効果を実感できず。

どこから取りかかればいいのやらと暫く悩む。そうだ。すべて自己判断でやれる整理できてないものをいつも持ち歩いてるじゃないか!(いばれない)いつのまにかパンパンになってしまってるこの財布を鬼速で片付けられるか試してみよう。

まずは全部出し。財布の中身を全部ぶちまけてみる。最近は小さいふのボタンを閉じるのが危ういような状況だから、何かを減らさなきゃいけないのはたしかだ。

財布の中身はこんな感じだった。

  • お札8枚(すべて万札・・・だったらいいな)
  • コイン16枚
  • カード9枚
  • レシート30枚(!)

財布だけで「片付けられない人」がばれるって相当だな。これってただ単にレシート入れ過ぎでパンパンになってるだけやん。これじゃ鬼速片付けの効果は十分にはかれない気がする。まぁそれでも一応やってみるか。

まず古いレシートはすべて処分だ。最近つけられてない家計簿をつけるにしても、そんなに前からつけるのは無理だし、ごく最近のものだけを残して捨ててしまおう。カード類も減らせたらと思ったけど、免許証やらクレカ、保険証、イオンのオーナーズカードやWAONと身分証明やら日常使いに必要なモノばかりで減らせなかった。

5分ぐらいで財布の片付けは終了。これが鬼速片付けってやつか!!・・・とはならず、ちょっと最初に取り組む対象としては不適切だった気がする。何らかのメソッドを使うまでもなく、レシート捨てたら良かっただけだもんな。まぁ、財布がパンパンじゃなくなったのはよかったからいいか。

ちょっと別の場所を選んで仕切り直しすることにしよう。今回はここまで!

新入社員歓迎会やその余興のための練習時間は残業になるんですか?

「新入社員歓迎会の余興のための練習時間は残業になるんですか?」そんな問いかけが新入社員一同からあったらしく、人事課長が「これも時代の流れか」と漏らしつつ悩んでた。ボクらのようなおっさんからすれば冗談みたいな話だけど、彼らはいたってマジメにそんな疑問をぶつけてきているわけで、まずは真摯に向き合ってしっかり回答する必要があるだろう。

自分の時代の話をすると、たちまち老害としてフルボッコに合いそうだけど、まぁこの閲覧数少なめなブログで何を言ったところでそんなことになる心配もないし、気にせず懐かしみつつ振り返ってみることにする。

そもそも余興を強要するのはパワハラだろう。

平成初期の古い記憶をよっこらせと引っ張り出してきてみると、たしか唐突に「新入社員歓迎会で新人は歌うことになってるから、がんばってねー」みたいなことを言われた記憶がある。ええ!カラオケなんか行ったことないんですけど。そもそも人前で歌うなんて無理無理無理無理!しかしヘタレなボクが頑なに拒絶するなんてことができるはずもなく、家族に声をかけてはじめてのカラオケに行ったんだっけ。でも、そんな努力も虚しく歓迎会ではろくに歌えず玉砕した苦すぎる思い出が久々に蘇った。

これは今ならパワハラでしょ。断る余地もなく、無理やり歌わされるんだもの。カラオケに練習に行った時間が残業になるとは思えないけど、それ以前に歓迎会で余興をすることを強要したら問題だろうと思う。

時間外の社内行事に強制的に参加させる場合は残業になる。

いきなり話がパワハラのほうへと逸れてしまったけど、残業になるのか、ならないのかの話に戻そう。今回、新入社員から問われたのは余興の練習時間についてだけど、そもそも新入社員歓迎会への参加だって、それが強制なら残業になるのか、ならないのかという問題はありそうな気がする。

roudou-bengoshi.com

業務時間外の社内行事に対する参加強制を、適法に行うためには、「業務として」行う必要があります。そして、業務時間外の業務とは、すなわち、「残業」のことを意味します。したがって、「残業」が許されない場合であれば、業務時間外の社内行事に対する参加強制は、違法となります。(労働問題弁護士会)

これを見るかぎりでは強制的に参加させるなら「業務として」行う必要がある。業務として行うのであれば、時間外に何らかの理由で拘束する場合には残業代を支給しなければならない、ということが言えそうだ。それに付随する余興も強要されるなら、おそらくその練習時間も残業になるだろう。ただ、過去のボクの事例のように社外でカラオケ店に行った場合、その証明が難しい気がする。練習とは関係なく、気分転換!と称して違うことをやる時間もありそうだしなぁ。

余興を強要しないことで残業になることを回避するらしい。

けっきょく今回のケースでは人事課長は「余興をやることは指示・強要しないので、やりたい人はやってください。したがって練習時間は残業になりません」という説明をしたらしい。まぁ、頑なにやろうとしない人と、やったほうがいいかなと考える人との間に溝ができてしまいそうで最適解とは言いづらい解決の仕方ではあるけど、じゃあどう解決すればいいのかも考えつかないし、これでよかったんだろう。

何かが起こったとき、それが時代の流れによるものなのか、個人の異質さによるものなのか見極めるのは、今後一層難しくなっていくんだろうな。いや、すぐになんでもGoogleに教えてもらえる世の中だから、既に相当難しくはなっていて、ボクがあまり直面する機会がないまま過ごしてるだけかもしれない。

不安を抱きつつ行ってきた1歳半検診の内容をまとめてみる。

正直言って1歳半検診については、ずっと不安を抱いてた。ちょっと検索したら不安になるような情報が溢れかえってるせいだ。育児に関してはネット上の情報に振り回されすぎちゃいけない。比較するんじゃなくちゃんと我が子を見てやろう!というのがボクのモットーなんだけど、どうにも気にせずにはいられない心境でその日が来るのを待っていた。

ボクらが話す言葉はかなり理解するようになってきて、言えばわかることが増えてきてる。でも、いまだにひとつも言葉が出てこないんだよなぁ。ふにゃふにゃとよく喋ってて、それはそれでかわいいからいつもは微笑ましく見てるものの、ふと不安になるときもあるのだ。特に毎日のように保育園に送迎してる奥さんのほうが成長著しい他の子たちも見てるから、不安になる瞬間はボクよりもきっと多いに違いない。

1歳半検診ではどんなことをするのか?息子の状況はどうなのか?気になって仕方がないし、ちゃんと付き添って一部始終を見届けたい!という思いに駆られ、ボクは有給届けを提出した。だいたい有給はまだ30日ぐらいある。こんなときに使わないでいつ使うんだ!

1歳半検診でやったことはこんな感じでした。

1歳半検診の内容は検索すればいくらでも詳しい情報は出てくるけれど、ボクらの場合はどうだったのかを簡単にまとめてみる。

1)食事指導・相談

まずは待ち時間を利用して食事指導・相談の時間が設けられた。イラストをふんだんに使った資料でこの時期の食事のあり方等の説明を受ける。いまどき珍しいアナログな手法でクリアファイルに入れた資料を見せながらの説明だった。少食、食べムラ、遊び食べ、緑の野菜を食べない・・・等がちょっと問題な食べグセとして紹介されてたけど、どれもこれも息子はあてはまってしまうじゃないかと思いながら聞いてた。

指導員「どうですか?しっかり食べられてますかねぇ?」

誰も「うちの子はちょっと・・・」なんて言い出す人はいなかった。もちろん、うちの奥さんも笑ってごまかしてたし、ボクも右ならえで特に何も言わないことにした。

加えて理想の生活サイクルの話もあって、そこには「6時半起床、21時就寝」というような生活サイクルが理想として示されていた。21時には全然眠れてないな・・・と思っていると、それでも遅いというようなニュアンスで指導員の方が話してきて、またもやボクらは笑ってごまかした。

2)歯科検診

大人も嫌いな歯科検診である。大きなベッドに仰向けで寝かされ、なんだか怖そうに見える歯科医に口を開かされる。ここでは大泣きする子が続出だった。まぁそりゃそうだろう。それを見た息子は「あー、あー」と泣き真似をはじめた。おいおい、そんな余裕かましてるけど、自分の番が来たら大泣き・・・しなかった。いつも家で歯磨きするときはあんなにギャンギャン泣いてるのにどうした。

とりあえず、虫歯はなくかみ合わせも異常なし。汚れも少ないということで歯のほうは今のところ問題なくてほっとした。

3)発達診断

いきなり6つのイラストが書かれたシートを出してきて「わんわん、どれ?」と問いかけられ、何も反応しようとしない息子。いや、ワンワンはどっちかというと「いないいないばぁ」でピカピカブー!とか言ってる変なやつという認識をしてるはずで、息子は「わんわんはここにはいない」と思っているに違いない。奇跡的に「ぶーぶー、どれ?」だけは指し示すことができて驚かされた。そんなに車、スキだったのか。知ってはいたけどさ。

これを積んでください、とサイコロキャラメルの箱みたいなものが3つ、息子の前に置かれた。いや、それちっちゃすぎないか。積み木は得意ではないけど、一応家では3〜4つぐらいは積めてる。でも、これは積み木と見なさないだろう・・・と思ってたら案の定、息子は掴んで投げてた。

4)身長・体重測定

パンツ1枚の姿にさせられて測定器にのせられた子供たちは、次々に泣いていく。裸で走り回る子供たちに混じって息子も走り回っている。ちょっと大人しくなったと思ったら股間をさわってる。ちょ、恥ずかしいからやめろってば。

測定器にのせても息子は1ミリも泣かなかった。ホントに今日はどうしたんだ。キミはそんなにお利口さんじゃないはずだろ。

5)医師による発達診断と触診

ここではアンパンマンとバイキンマンとドキンちゃんの人形を見せられ、指差しを求められたけど、息子は愛想笑いでごまかしていた。そんなところは両親に似なくていいんだよ!と心の中でツッコミをいれる。アンパンマンはどこで見てもしつこいぐらい指差ししてるのになぁ。たまにまちがってジャムおじさんを指してるけど、ほぼ同じ顔だしね。自分と同じ顔を作って空を飛ばせるジャムおじさんって自信過剰だよなぁ。

6)更なる発達診断と育児指導

最後にまたもや指導員の人が登場して、しつこく同じイラストを見せて指指しテストをやる。息子はといえば、もういいだろとばかりに今度は1つも指差ししようとしない。また積み木じゃないサイコロキャラメルも出てきて、やはり息子は横に並べるものの積み上げようとはしなかった。

参考までに指導員の方から問われたことを列挙してみる。

  1. 身振り手振りじゃなく、言葉で伝えたことを理解しているか?
  2. 言葉でモノをとってくるよう指示したら持ってこれるか?
  3. 自分の要求を伝える時、指差しして伝えることができているか?
  4. 3つぐらいは意味のある単語を話せているか?

うちの息子の場合は「おフロ」「行こか」「お片付け」あたりは言葉だけでも理解して反応するようになった。「おむつ持ってきて」と言えばとってくる。手が届かないモノを欲しがる場合は指差ししてる・・・という感じで3番まではまぁできていると言えるものの、意味のある単語は一つも出てきてないので4番だけは明確に「不可」の状況だった。

まぁ言葉の遅さに関してはボクも奥さんも気にしていたことで「どんな言われ方をするんだろう?」と身構えていたら「まぁ2歳までゆっくり様子をみましょう」という感じだったので、ちょっとだけほっとした。同時に2歳でも言葉が出てこなかったらどうしよう?という不安もこの瞬間からはじまってしまったんだけど、それはしょうがないか。

待ち時間も含めおよそ2時間に及んだ1歳半検診はこんな感じで終了した。かなり身構えてたからちょっと拍子抜けした感はあるけれど、ボクが住んでる奈良県奈良市がゆるいのか、指導員の方が優しかったのか、ネットで溢れかえってる情報が厳しすぎるのか、真相はわからないけど、まぁボクらにできることはしっかり見守っていくことと、できるかぎりの後押しをするだけだ。過剰に心配しすぎず向き合っていければいいなと思うものの、難しいんだろうなぁ。

ブログ継続のための自分ルールを考えてみた。

最近はブログを書きたい気持ちはあるものの、全然書けないという状況が続いている。仕事に育児に忙しいから!と理由付けするのは簡単だけど、ちょっと時間ができて「さあ、書こう!」と思っても全く手が動かないから、ブログが書けないのは、忙しさのせいだけじゃないだろう。

そんな心境でネットをふらついていると、やたら洗練されたデザインのブログに辿り着いた。はてなブログでこんなデザインのブログが作れるのかー!と感心していると、ブログ論について書かれたものがいくつかあったので、さっそく気になるものを読んでみることにした。

なぜ、そんなにブログを書きたいんだろう?

www.uenoyou.net

自分が求めているものは何なのかをまず知る必要があります、それによって答えが全く違ってきます。(うえのブログ)

だいたいボクはなんでそんなにブログを書きたいんだろう?「書くのがスキだから」というだけではちょっと動機が弱すぎる。ホントにスキなことは、睡眠時間を削ってでもやりたくなるはずだけど、そこまでじゃないもんね。

まず、お金目的ではないな。好きなように書いてお小遣いが手に入ればいいな!とか甘い考えは持ってるけど、それは第1の目的じゃない。そりゃあるにこしたことはないから、AdSense貼ってるんだけれど、最低限はてなブログproと独自ドメインの運営費用が賄えればいいかなと思っている。

ああ、そうか。思い出した。最近はあまり言いたいことを飲み込むとか、言いかけた言葉を遮られて何も言えなくなったとかいう経験が少なめだから意識しなくなってたけど、ボクはあんまり普段自己主張できない性格だから、気兼ねなく自分の考えを主張できる場所がほしかったんだった。

最近はそういうブログの書き方しなくなってるなぁ。「言いたいことがあんまりない」っていう身も蓋もない理由もないとは言えないけど、ブログを書いてる人格と普段の人格でほぼ差異がなくなってるから、人の目を気にしすぎて吐き出すように書けなくなってるってのもありそうだ。そんなに読まれてるわけでもないのに自意識過剰過剰だなー。

ブログについての自分ルールを考えてみた。

私の継続の鍵は自分の実践しやすい「自分ルール」を作ってその環境が型にハマッている事にあります。(うえのブログ)

自分ルールを考えてみる。更新頻度はなんとか上げていきたいけど、毎日更新にこだわる必要は無いな。だいたい何かにハマると何かが疎かになるボクのことだから、それは色んな意味で破滅への道。でも、ネタは毎日ストックしていく努力をしてみようか。更新はしなくても毎日書いてみようか。

できれば人に役に立つ、とまでは言わずとも人に楽しんでもらえるモノを書きたい。自分が言いたいことを書くってのが第一。でも、人にも楽しんで貰えるものを目指して書いていこう。

そんなことを踏まえて自分ルールをまとめてみると、とりあえずこんな感じになった。

  1. 週に1回は更新する。できるなら何回更新してもいい。
  2. ネタは毎日考えて、1行でもいいから何か書いておく。
  3. 自分が言いたいことを書きつつ、人に楽しんでもらえるものをめざす。

ゆるいなぁー。ゆるすぎる。でも、全然書けてないから週1更新でもけっこうなプレッシャーだ。だいたい個人ブログなんだから、自分が言いたいことを書くって当たり前のことだよなぁ。わざわざルールとして書く意味あるのか?って思うけど、まぁいいや。

眠れぬ夜に妖怪を思ふ。

ミートボールとハンバーグの何が違うんだろう?ミートボールは小さな球体でハンバーグは平たい楕円形で形や大きさは明らかに違う。揚げたり煮込んだりするのか、焼くのかといった製法も異なるということが言えるだろう。うちの息子はそんなマニアックな違いを察知してミートボールを拒否してるんだろうか。ハンバーグはぱくぱく食べるくせに、ミートボールを嫌がるのである。

皿に盛られたミートボール、今日は少しは食べたんだろうか?と思いつつ口に運ぶ。結構残ってるということは、やっぱり食べなかったのかもしれない。子供のころ、ミートボールが弁当に入ってたら嬉しかったけどな、なんて久しぶりに幼少期のことを思い出した。さすがに1歳半のころの記憶はないから、自分だってその頃は相当な偏食だった可能性はある。まぁ、もう少し様子を見てもいいだろう。

ンギャー!けたたましい泣き声が2階から聞こえる。帰り際に妻から「今日は早めに寝かしつけをはじめたよ」とメッセージがあったから、もう1時間ぐらいは奮闘しているのかもしれない。ちょっと見に行ったほうがいいだろうか?いや、しかしもうちょっとがんばろうと思ってるところを邪魔してしまうかもしれない。だいたい「自分なら寝かしつけられる!」みたいな感じで早々に参上するのはどうかとも思う。

特に誰とも会話することなく、テレビを見るわけでもなく食べることに専念すると夕食はあっという間に終わった。いつかは息子に向かって「もっとしっかりよく噛んで食べなさい」なんてことを言わなきゃいけないはずだが、自分のことを棚に上げて言える気がしない。それとも、気がついたら自分もずるい大人の仲間入りをして、平気で息子を叱りつけてしまうんだろうか。

ンギャー!ンギャー!そろそろ行ったほうがよさそうだ。いそいそと階段を昇り、寝室に向かう。そこには泣き叫ぶ息子と疲れた妻の姿があった。いつも玄関を開けて目が会ったときは息子はにこにこして迎えてくれるけど、今日は一瞥しただけでひたすら泣きながら妻に手を伸ばしていた。いきなり引き離すわけにもいかず暫く様子を見ていたのものの、抱き上げても息子はずっと泣き止まず、「ちょっと引き受けるよ」と声をかけて後ろから息子を抱き上げた。

ウワギャー!ウワギャー!泣き声のボリュームが2倍ぐらいになった。全力で嫌がられて少し意気消沈しながらも、とにかく穏やかに声をかけつつ部屋を出る。幼児虐待を疑われそうな泣き声は続く。自分で言うのもなんだが、何かの間違いで虐待の疑いがかかったら「優しそうでそんなことをする人には見えませんでした」と近所の人に言わしめるベタ展開になるのは間違いない。そして、このまえ一回キレてしまったときの怒鳴り声を聞かれてて「そういえば・・・」とか言われるんだろう。そう容易く人々の娯楽になってやるわけにはいかない。

玄関のドアを開けると、息子はぴたりと泣き止んだ。既に「せけんていだいじに」とか考えてるんだろうか。たぶん違う。外の空気ややわらかい明かり、かすかな虫の声なんかが落ち着くんだろう。よし、少し川沿いを散歩しようか。しばらく歩いてると辺りをキョロキョロ見回していた息子は急に力なくうなだれた。子泣き爺という妖怪はこうやって子供を寝かしつけてた人が創り出したに違いない。息子の体重が1.5倍ぐらいにはなったような気がする。これでふと見たら爺になってたら、そりゃ衝動的に川へ放り投げずにはいられないだろう。

そうこうしているうちに息子はすぅすぅと寝息を立て始めた。念のため顔を覗き込んでみるが爺にはなっていない。僕はほっとしながら、しかし汗だくでふらふらになりながら玄関のドアを開け寝室へ戻ると、布団の上にそっと息子を寝かせた。驚くべきことに部屋で待っていた妻は老婆に変貌しており、疲れ切った僕に向かって大量の砂を投げつけてきた・・・なんてことはもちろんなかった。このまえ久しぶりにテレビでゲゲゲの鬼太郎を見たから懐かしくてつい。

なぜ「小さな習慣」メソッドをもってしても、習慣化できないのか?

「小さな習慣」という本に感化されて、習慣化したいことをとりあげて取り組みはじめた。バカバカしいと思えるほど小さな習慣を設定して、着実に毎日やるというのが一番大事なその本の教えで、ボクは「手帳を開く」「Todoist(タスク管理アプリ)をひらく」「レシートを1枚(家計簿アプリに)入力する」「100文字書く」と4つの極小な習慣を設定した。

3週間ぐらいはちょっと危うい状況がありながらもなんとか続いた。が、徐々に仕事が忙しくなり、体調も崩したりということが重なったとき、習慣はあっさりと途絶えてしまった。1日やれなかったときに「やばい」と思って仕切り直せればよかったのだけれど、そうはいかず完全に習慣はストップした。これぐらい誰でもできるだろう?と自分で思ってた「小さな習慣」ですら習慣化できなかったのはなぜなのか?考えてみることにする。

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習慣化したいモノたち

一気に4つの習慣を取り入れようと欲張ってしまった。

今までちゃんとできてなかったことだから、あんまり欲張らずに1つだけにしておけば良いものをボクは選択することができなかった。手帳をちゃんと書きたかったし、タスク管理をちゃんとやりたかったし、家計簿をちゃんとつけたかったし、ブログもちゃんと書きたかったのである。

小さな習慣は全部合わせても10分以内で終わるものにすべきだからです。自分にとって重要な習慣なら、誰だってそのために10分ぐらいの時間はとれるはずですから。(小さな習慣)

手帳を開くと書きたくなる。ほぼ日手帳1ページを書くには、少なくとも30分ぐらいはかかる。1つ目の習慣で20分オーバー。Todoistを開くとタスクを整理して今日やるべきことを見極めはじめる。これでまた30分ぐらい。この時点で50分オーバー。レシートを1枚入力するのは1分ぐらいなので、51分オーバー。100文字ですら書くことが思いつかずに悩み始めたら、少なくとも30分以上はかかる。81分オーバー。全部合わせても10分以内で終わるものにすべきという教えは完全無視で実質毎日1時間半かかる習慣を身に着けようとしていたわけだ。そりゃ挫折するだろう。

一度に4つ以上の小さな習慣に取り組むのはすすめません。ひとつひとつの習慣は簡単に達成できたとしても、量が多くなると注意力が分散され、どれかひとつを怠ったり忘れたりしがちです。(小さな習慣)

4つ以上はやめときって書いてあるやん。わかってたけど無視してしまった。著者が言ったとおりの失敗をやらかすってのは、なんとも悔しいものだな。

まったくおまけや進展がなく、意味を見いだせなくなってしまった。

習慣の継続が危うくなりはじめると、先に書いたように1時間半も時間をとることは不可能になってくる。そうなってくると、素直に手帳を開くだけ、とかになってくる。開くだけで書かないって意味あるのか?当然、書かなければほぼ日手帳は白紙のページが続いていく。レシートを毎日1枚入力するだけじゃ、増えるスピードに追いつかない。奥さんに買い物を控えてくれなんて言えない。息子のために必要なものはおむつを筆頭に結構な頻度で買う必要があるのだ。まとめ買い?いや、それはまた別の問題を引き起こすだろ。100文字なんとか書き続けてみたって、一向にブログを更新できないじゃないか。

小さな習慣を使えば、驚くほど大きな成果が得られます。まず、小さな課題をこなしたあとに、ほとんどいつも〝おまけ〟でもっと多くをこなせます。これは、私たちがすでにポジティブな行動を望んでいて、いったん始めてしまえば、やりたくないと抵抗する気持ちも弱まるからです。(小さな習慣)

3週間ぐらいでそれを望むのが急ぎすぎなんだろうけど、全然おまけで多くこなせる日なんて訪れなくなって、進展するどころか衰退してしまった。こうなってくるともう盲目的に「小さな習慣」に取り組むなんてできない。こんなことやってて意味あるんだろうか?という思考にボクは囚われ始めた。

小さな習慣の先にある目標が明確じゃなかった。

「手帳をひらく」の先には当然、手帳を書きたいっていう欲求がある。じゃあ、手帳を書きたいのはなんで?単純に書くことがストレス発散になるってのはある。でも、それだけじゃない。ボクは何か書き残してないとイヤなことばかり思い出してしまったり、なにもない日々をただ消費しているんじゃないか?という不安に襲われるめんどくさい性分なのだ。だからこそ、ボクは手帳を書き続けたい。そのためにはまず手帳を開かなきゃいけない。開かずに念書とかできたら探偵ナイトスクープに出れそうだけど、ちょっと無理だろう。

「Todoistをひらく」の先には気になるタスクを着実に片付けたい、という欲求がある。気になることをさっさと片付けてストレスフリーな暮らしを手に入れたい。これはきっとボクにとって永遠のテーマだろう。

「レシートを1枚入力する」の先には、家計をちゃんと管理したいという欲求がある。息子の成長に伴い必要なお金は増えていくはずだ。それに不安なく対処していくためには、今から家計をしっかり管理して貯蓄していくことが大事だろう。

「100文字書く」の先には、今もこうして書いてるブログをできるだけ定期的に更新していきたいという欲求がある。ブログを書くのは単純にスキだからとしか言いようがない。書くことがスキだし、人に読んでもらうのは楽しい。お金も多少はついてくるけど、それは完全におまけだ。

こんな感じに小さな習慣の先には目標があるわけだけど、それを特に明確に意識することなく、ただ漠然と頭の中に思い描きながら淡々と小さな習慣をやり続けようするのは無理があったのかもしれない。

あきらめないかぎり挫折はない。

できなかった理由に思いを巡らせていると、ボクにしては珍しくポジティブな感情が芽生えてきた。なんや、なんとなくがむしゃらにやろうとして失敗してるだけやん。これしきで挫折判定してどうする。あきらめないかぎり挫折はないのだ。なんだこれ、あまりにもボクらしくないことを書いてしまった。なんか意識高すぎ高杉くんっぽいじゃないの。

とにかくこうやって書いてると、どうしても文字数多めになる「手帳を書く」習慣を仕切り直すか。4つもやろうとせず、1つだけやる。「手帳をひらく」だけではどうしてもよし!と思えないから、「手帳を開いて1行書く」という小さな習慣を設定する。ぜったい何か1つぐらいは書くことがあるから、ちょっと考える時間を含めても10分以内で書けるはずだ。

1週間ぐらい後に「なぜ、たった1つの小さな習慣ですら挫折してしまうのか?」なんて書いてないことを祈ろう。結局最後はネガティヴで締めるんかーい!

小さな習慣

小さな習慣

ボクの中にも怒りの精霊フューリーはいました。

職場で上司に何を言われてもどんな理不尽な仕事の振り方をされても、耐えて耐えて冷静に対処してきたボクだったけど、最近ついにキレてしまった。理不尽な上司にではなく、1歳半の息子に。

抱っこしてもおろしても泣き止まない時間が続き、どれだけ制止しても隣の部屋と隣接した壁をバンバンたたく。遊んでばかりいて全然ごはんを食べない。近寄ってきて食べるふりをしてさっとスプーンを避けられた瞬間に、ボクの中で何かが弾けた。

「もういい。いらんかったら食べんでええわ」と言いながら息子を片手で抱えあげ、まだごはんが残っている息子の食器を乱暴にキッチンに置いた。スタスタと歩いて脱衣所へ向かい、さっさと息子を風呂に入れようとする。服を脱がせようとするのだけど、息子は大人しく従わず、もがいて終いには泣き始めた。

「うるさいな!はよしろや!」とか言ってた気がする。キレてるくせに「なんだ、ボクはこんなに声が出るのか。いつもこんなに声が張れたらいいのに」とかちょっと思ってる自分がいた。

息子を泣かせながらボクが怒鳴っているのを、ただ事じゃないと察知した奥さんがやってきてボクの手から息子を奪い取った。あまり自覚がなかったんだけど、ボクの手は震えていたらしい。

その先に虐待への扉が待ち受けていたんだろうか。そんなことを考えると激しく凹んだし、自分がキレたことに驚いた。前にキレたのはいつのことだっただろう?15年前?いや20年以上前?ちょっと思い出せない。しかし、ボクの中にも間違いなく怒りの精霊フューリーは存在していたのである。ってこのネタわかる人がどれぐらいいるんだろう?

いいわけにならないんだけど、このときボクはずっと続いてる風邪の症状に苦しんでいて、熱が上がったり下がったりしていた。その瞬間がどうだったのかはわからないけれど、体調が万全でなかったのは間違いない。そんなときは思いもよらない自分が現れることがあるんだな、というのはかなり衝撃的だったし、いい教訓になった。いつも穏やかに過ごしている人がキレるときは、よほど精神的か身体的、もしかしたらその両方で追い詰められてるに違いないとこれからは考えられるようになるだろう。

それにしても、こんなことでキレたくはなかった。怒りの無駄遣いだ。あぁ。

このままでいいのか?と急に不安になって、改めて自分の価値観を確認してみた。

「やり方」の前に考えなきゃいけないことがある。

のろのろと「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門を読み続けていてはっとする言葉に遭遇した。

「自分のやること」を決めるためには、「何が自分のやることなのか」を決めなければなりません。それはつまり、「自分の役割」を定めるということです。そしてそれは、必然的に「自分とは何か」を決定づける要素にもなります。言い換えれば、「自分」を自分が定義づけるのです。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

当たり前のことしか言ってないんだけど、やることに向き合う前に「自分とは何か、自分にとって何が大事なのか」ってのを明らかにしたうえで「これは本当にやるべきことか?やりたいことか?」と考えられる状態にしておかないと、いろんな手法を用いてどれだけやることを上手く片付けたところで満足感は得られない。

www.izuremo.com

このまえいきなり「やり方」を見直していたけれど、「なんだか人生の舵取りできてないな」と感じてる現状のボクの場合はまずそこじゃなくて「自分とは何か」へと戻らなきゃいけないんじゃないかと思い直した。

本質に迫ることだけを選ぶにはどうすればいい?

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減らす技術

そんなわけでいそいそとボクが人生のバイブルとしてる一冊「減らす技術」をまた手にとった。この本は読みやすいし、感覚的にも自分に合ってるところが多いのがお気に入り。今回みたいによくわからなくなったときにまず戻ってくるのがこの本だ。しかし、何回読んでるかわからんぐらい読んでるはずなのに活かせてないな。ちょっとぐらいは自分の中に吸収できてんのかねぇ。

減らす技術 新装版

減らす技術 新装版

読み進めていく中で「本質に迫ることだけを選ぶ」という言葉が心にひっかかった。

つまり、他人のニーズや気まぐれに翻弄されるだけなのだ。そうならないためには、何をするにもまず「本質に迫ることはなんなのか」を自問すること。(中略)それでこそ、ものごとが正しい順序に整う。(減らす技術)

そうそう、なんか最近は流されてる感がとても強い。自分の人生を自分でコントロールできていない感覚がずっとある。このままぼんやりと年老いていったら必ず後悔するだろうという漠然とした不安がつきまとっている。しかし、自分にとって「本質に迫ること」ってなんなんだろうな。

質問① どんなことに価値を感じているのだろう?(減らす技術)

自分の価値観に関する問いかけだ。なんとなく「家族と楽しく幸せに暮らす」ことが大事だとは思ってる。でも、自分のこだわりってそれだけじゃないはずだ。これだけだったら、家族に関係ない決断を迫られるシーンでは何も答えを出せないことになってしまう。

自分の価値観について考えてみる。

価値観というワードで瞬間的に思い出すのはやはり「7つの習慣」だな。めちゃくちゃ影響を受けて、いつもミッションステートメントとか書いてたけど、最近ではまったく意識しなくなってしまった。そこには自分の価値観が明確化されてたはずなのにな。まぁ、いい機会だから過去の手帳を確認するんじゃなく、改めて真面目に自分の価値観と向き合ってみるか。

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

あなたは、彼らに自分がどのような人物だったのかを見てほしかったのか。どういう貢献や功績を憶えておいてほしいのか。その場に集まっている人たちの顔をよく見てもらいたい。彼らの人生に、あなたはどのような影響を及ぼしたかったのだろうか。(7つの習慣)

自分の葬儀を想像してみんなにどう言ってほしいかを想像しろ、というやつだ。最初に読んだときには素直に想像して考えてたと思うんだけど、今はなんだか受け止め方が違う。人に認められてたって自分が不満足なら意味がないし、人に何を言われたって自分が満足してればいいじゃないか、と今は思っている。どこかで何かが変わってしまったんだろう。

そんな思いを抱いてるくせに自分の価値観を即言葉にできないなんて矛盾してる。「自分が満足すること」がなんなのか明確に言えないくせに言ってることがおかしいとセルフツッコミしておこう。さて「7つの習慣」方式で自分の価値観を言語化するのが難しいとなるとどうしようか。

価値観のリストを並べ替えて自分の価値観を明確にする。

いいものを見つけた。「TQ-心の安らぎを得る究極のタイムマネジメント」 で紹介されてる価値観のリスト。

人生において最も大切なものベスト30(TQ-心の安らぎを得る究極のタイムマネジメント)

       
1 夫または妻 16 知性と知恵
2 経済的な安定 17 理解力
3 健康と体力増進 18 質の高い生活
4 子供と家族 19 幸福/積極的な態度
5 神/宗教 20 楽しみ
6 達成感 21 自制心
7 正直/誠実 22 向上心
8 職業上の満足感 23 能力
9 人々への愛/奉仕 24 想像力と創造性
10 教育 25 許し
11 自尊心 26 寛大さ
12 責任感 27 平等
13 リーダーシップ 28 友情
14 心の平安 29
15 自主/独立 30 勇気

TQ?心の安らぎを得る究極のタイムマネジメント (SB文庫)

TQ?心の安らぎを得る究極のタイムマネジメント (SB文庫)

これを自分が大事だと思う順に並び替えれば割と簡単に自分の価値観を明確にできそうな気がする。ということで自分にとって大切なものベスト7を書き出してみる。(多少自分がしっくりくる言葉に置き換える。)

7位 楽しみ

まぁ楽しみがなけりゃ生きてる意味が感じられなくなるもんね。何に楽しみを感じるのか?は具体化しなきゃ優先度の高い楽しみとそう高くない楽しみがあるだろうな。

6位 経済的な安定

やっぱりお金がないとできないことはいっぱいあるしな。なくなったらこんなブログなんか書いてる場合じゃなくなるだろうし。これを求めないなら、やりたくない仕事なんてさっさと辞めるよね。

5位 誠実

人を騙したり貶めたりして自分の欲求を満たす、とか絶対にできない性分だからまぁ誠実さはボクにとって大事なんだろうと思っている。どれだけ人が不誠実でも「目には目を」と思えないからたぶん損してる。

4位 寛容さ

人は過ちを犯すからこそ人間らしいと思うし、そこから何か学ぶはずと信じている甘い人間なのだよ、ボクは。ただ、ちょっと疑っているもう一人の自分もいるのでちょっとややこしい。

3位 健康

健康じゃないとホントに何もできないし、場合によっては人生が終わってしまうことだってある。とにかくやっぱり健康第一。一人で生きてるわけじゃないしな、と思うと余計に大事だなと感じるようになった。

2位 心の平穏

心穏やかじゃないともう他の大事なはずのものも全部放り出したくなって、人生終わらしたくなってしまったりするし、究極に大事だろう。周りの人も不幸にしてしまうしねぇ。

1位 家族

なんか家族大事っていうとデスクに写真を飾るアメリカ人なイメージがあって気恥ずかしい感じがするのはなんでだ?何かあったら自分の命を差し出してでも守りたいものはこれしかないかな。

自分にとって本質に迫ることを全然選べてない。

よっしゃ!これでなんとか自分の価値観はだいたいわかった(思い出した?)。これでやっと「本質に迫ることだけを選ぶ」ためのネタが手に入ったわけか。

それにしても「達成感」とか「向上心」とか仕事での成功につながるような価値観が上位には一切ないな。ボクにとって今や仕事は「経済的な安定」を得るための手段でしかなくなってるのか。そんなんでいいの?と思うけど、実際そうなんだからしょうがない。

その割には仕事に時間を費やしすぎていて「家族」との時間を減らされているし、「心の平穏」を失いそうな時がしょっちゅうあるんだよなぁ。自分にとって本質に迫ることだけを選べてない、全然選べてないよ!

なんだかずいぶんとタスク管理からは逸脱して人生観みたいな話に飛躍してしまった。まぁでも自分のこれからについて考えるいいきっかけになったかな。単語だけじゃよくわからないから、一つずつ文章化しておこうって言いながら、前にもミッション・ステートメント書いてたよなぁ。同じことを何度も繰り返してる気がするけど、その度に数メートルぐらいは前に進んでるはずだと信じるしかないな。先は長い。のんびり進もう。

ぐわぐわ団のようにおもしろきこともなきネタをおもしろく書きたい。

ぐわぐわ団はおもしろい。なんとかしてボクもぐわぐわ団のようにおもしろきこともなきネタを おもしろく書けるようにならないもんだろうか?しかし、ぐわぐわ団のまけもけさんは百均グッズでDIYする森泉なのだ。いや、まけもけさんは「くそしてねろ」なんて言わないだろ。そもそもあれは漫☆画太郎のネタであって森泉だってたぶん言わない。いや、待てよ。まけもけさんがどこの人かは知らないがもしかして大阪の人なら「へぇこいてねろ」とは言ってる可能性はある。

よくブログを読んでる割にはボクはまけもけさんのことを何も知らないじゃないか。めっちょことかもんにょりとか言いながら、ニヨニヨしてうさぎ書いてる人としかわからない。「くそしてねろ」か「へぇこいてねろ」のいずれかが口癖なのか否かすらわからないのである。いかん。このままではぐわぐわ団団員から除名されてしまう!

ぐわぐわ団っぽい読んで損する楽しいブログの書き方

ぐわぐわ団っぽい読んで損する楽しいブログの書き方

そんな焦燥感からボクは「ぐわぐわ団っぽい読んで損する楽しいブログの書き方」を即購入した。しかし、どこにもまけもけさんが「くそしてねろ」か「へぇこいてねろ」のいずれかが口癖なのか否かは書かれていなかった。めっちょこ落胆したがそれはおいといて、やはりこの本を読んで感じたことは「ぐわぐわ団のまけもけさんは百均グッズでDIYする森泉である」ということだ。

森泉がDIYしているのを見て「あーはいはいはい。ボクもそれ、そう使うと思ったよ」なんて思ったことは一度もない。どうやったらそんな使い方を思いつくんだと毎回驚くことばかりである。そして、まけもけさんはそのネタを持ってきて、なんでそんな話になるのかと驚くことばかりである。これでまけもけさんが「くそしてねろ」と言ってれば完全一致である!

「くだらないことを恐れずに書く」「思いついたことを素直に書く」を実践したらこうなった。実にくだらない。くそしてねろしか言ってない。だが、しかし!

www.gw2.biz

自分の文章がつまんないとか、需要がないとか、判断するのは自分じゃないのです。読んでくれた人がそれぞれ判断すること。文章の価値は自分で決めることじゃないのです。せっかく書いた文章を、生みの親がけなしてどうしますか。(ぐわぐわ団−自分の文章がつまんないとか、需要がないとか、判断するのは自分じゃない)

これだ。ボクはこの言葉を信じてこの文章を消さずに残す。しかし、書評を書こうとしたはずがどうしてこうなった?まぁ、読んでもぐわぐわ団のようなブログは書けない気がするけど、まとめて読むとまた違った味わいがありまっせ、とだけ言っておこう。