なぜ「小さな習慣」メソッドをもってしても、習慣化できないのか?

「小さな習慣」という本に感化されて、習慣化したいことをとりあげて取り組みはじめた。バカバカしいと思えるほど小さな習慣を設定して、着実に毎日やるというのが一番大事なその本の教えで、ボクは「手帳を開く」「Todoist(タスク管理アプリ)をひらく」「レシートを1枚(家計簿アプリに)入力する」「100文字書く」と4つの極小な習慣を設定した。

3週間ぐらいはちょっと危うい状況がありながらもなんとか続いた。が、徐々に仕事が忙しくなり、体調も崩したりということが重なったとき、習慣はあっさりと途絶えてしまった。1日やれなかったときに「やばい」と思って仕切り直せればよかったのだけれど、そうはいかず完全に習慣はストップした。これぐらい誰でもできるだろう?と自分で思ってた「小さな習慣」ですら習慣化できなかったのはなぜなのか?考えてみることにする。

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習慣化したいモノたち

一気に4つの習慣を取り入れようと欲張ってしまった。

今までちゃんとできてなかったことだから、あんまり欲張らずに1つだけにしておけば良いものをボクは選択することができなかった。手帳をちゃんと書きたかったし、タスク管理をちゃんとやりたかったし、家計簿をちゃんとつけたかったし、ブログもちゃんと書きたかったのである。

小さな習慣は全部合わせても10分以内で終わるものにすべきだからです。自分にとって重要な習慣なら、誰だってそのために10分ぐらいの時間はとれるはずですから。(小さな習慣)

手帳を開くと書きたくなる。ほぼ日手帳1ページを書くには、少なくとも30分ぐらいはかかる。1つ目の習慣で20分オーバー。Todoistを開くとタスクを整理して今日やるべきことを見極めはじめる。これでまた30分ぐらい。この時点で50分オーバー。レシートを1枚入力するのは1分ぐらいなので、51分オーバー。100文字ですら書くことが思いつかずに悩み始めたら、少なくとも30分以上はかかる。81分オーバー。全部合わせても10分以内で終わるものにすべきという教えは完全無視で実質毎日1時間半かかる習慣を身に着けようとしていたわけだ。そりゃ挫折するだろう。

一度に4つ以上の小さな習慣に取り組むのはすすめません。ひとつひとつの習慣は簡単に達成できたとしても、量が多くなると注意力が分散され、どれかひとつを怠ったり忘れたりしがちです。(小さな習慣)

4つ以上はやめときって書いてあるやん。わかってたけど無視してしまった。著者が言ったとおりの失敗をやらかすってのは、なんとも悔しいものだな。

まったくおまけや進展がなく、意味を見いだせなくなってしまった。

習慣の継続が危うくなりはじめると、先に書いたように1時間半も時間をとることは不可能になってくる。そうなってくると、素直に手帳を開くだけ、とかになってくる。開くだけで書かないって意味あるのか?当然、書かなければほぼ日手帳は白紙のページが続いていく。レシートを毎日1枚入力するだけじゃ、増えるスピードに追いつかない。奥さんに買い物を控えてくれなんて言えない。息子のために必要なものはおむつを筆頭に結構な頻度で買う必要があるのだ。まとめ買い?いや、それはまた別の問題を引き起こすだろ。100文字なんとか書き続けてみたって、一向にブログを更新できないじゃないか。

小さな習慣を使えば、驚くほど大きな成果が得られます。まず、小さな課題をこなしたあとに、ほとんどいつも〝おまけ〟でもっと多くをこなせます。これは、私たちがすでにポジティブな行動を望んでいて、いったん始めてしまえば、やりたくないと抵抗する気持ちも弱まるからです。(小さな習慣)

3週間ぐらいでそれを望むのが急ぎすぎなんだろうけど、全然おまけで多くこなせる日なんて訪れなくなって、進展するどころか衰退してしまった。こうなってくるともう盲目的に「小さな習慣」に取り組むなんてできない。こんなことやってて意味あるんだろうか?という思考にボクは囚われ始めた。

小さな習慣の先にある目標が明確じゃなかった。

「手帳をひらく」の先には当然、手帳を書きたいっていう欲求がある。じゃあ、手帳を書きたいのはなんで?単純に書くことがストレス発散になるってのはある。でも、それだけじゃない。ボクは何か書き残してないとイヤなことばかり思い出してしまったり、なにもない日々をただ消費しているんじゃないか?という不安に襲われるめんどくさい性分なのだ。だからこそ、ボクは手帳を書き続けたい。そのためにはまず手帳を開かなきゃいけない。開かずに念書とかできたら探偵ナイトスクープに出れそうだけど、ちょっと無理だろう。

「Todoistをひらく」の先には気になるタスクを着実に片付けたい、という欲求がある。気になることをさっさと片付けてストレスフリーな暮らしを手に入れたい。これはきっとボクにとって永遠のテーマだろう。

「レシートを1枚入力する」の先には、家計をちゃんと管理したいという欲求がある。息子の成長に伴い必要なお金は増えていくはずだ。それに不安なく対処していくためには、今から家計をしっかり管理して貯蓄していくことが大事だろう。

「100文字書く」の先には、今もこうして書いてるブログをできるだけ定期的に更新していきたいという欲求がある。ブログを書くのは単純にスキだからとしか言いようがない。書くことがスキだし、人に読んでもらうのは楽しい。お金も多少はついてくるけど、それは完全におまけだ。

こんな感じに小さな習慣の先には目標があるわけだけど、それを特に明確に意識することなく、ただ漠然と頭の中に思い描きながら淡々と小さな習慣をやり続けようするのは無理があったのかもしれない。

あきらめないかぎり挫折はない。

できなかった理由に思いを巡らせていると、ボクにしては珍しくポジティブな感情が芽生えてきた。なんや、なんとなくがむしゃらにやろうとして失敗してるだけやん。これしきで挫折判定してどうする。あきらめないかぎり挫折はないのだ。なんだこれ、あまりにもボクらしくないことを書いてしまった。なんか意識高すぎ高杉くんっぽいじゃないの。

とにかくこうやって書いてると、どうしても文字数多めになる「手帳を書く」習慣を仕切り直すか。4つもやろうとせず、1つだけやる。「手帳をひらく」だけではどうしてもよし!と思えないから、「手帳を開いて1行書く」という小さな習慣を設定する。ぜったい何か1つぐらいは書くことがあるから、ちょっと考える時間を含めても10分以内で書けるはずだ。

1週間ぐらい後に「なぜ、たった1つの小さな習慣ですら挫折してしまうのか?」なんて書いてないことを祈ろう。結局最後はネガティヴで締めるんかーい!

小さな習慣

小さな習慣