「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門を読んで、自分のやり方を評価してみた。

「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門を読んでいたら、いろんなリストを紹介する「タスク管理の道具箱 さまざまなリスト」という章に行き着いた。あー、知ってる知ってるこれなー!と読み流しかけてふと立ち止まった。ところで、自分が常日頃使ってるリストはどれなんだろう?こんな機会はあんまりないから、自分のタスク管理システムについて評価してみよう。

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「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門

思いついたらどんどんTodoistにタスクを登録する。

ボクは日々押し寄せるタスクをTodoistというアプリにどんどん登録している。家のMACでも会社のWindowsでもスマホでも使えるから、思いついたらすぐ登録!・・・はできるけどやってない。なんか3秒あれば登録できるのにそれがたまらなくめんどくさいときがある。ホントにボクはどうしようもないめんどくさがりだなぁとへこみまくる。

あなたがリストに要素を次々と追加するならそのリストはオープンリストだと言えますし、断固として要素の追加を拒否するならクローズリストだと言えます。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

なるほど。ボクがいつも使ってるリストは思いついたらどんどん登録できるけどやれてないリストだから、しょっちゅうクローズリストっぽくなるけど、オープンリストだな。断固として要素の追加を拒んでるわけじゃないし。

get.todoist.help

何をやるのか具体化してタスクとして登録する。

ボクはやるべきことを書き出しただけじゃ、全然ものごとを進めていけないやっかいな性分である。上司から「○○の資料作っといてくれ」と言われたとする。素直に「○○の資料を作る」と書き留めるだけでは、いつまで経っても着手できない。なんでやねんと言われそうだけど、ホントに自分でもびっくりするくらい取りかかれない。そんな自分を動かすにはまず「○○資料作成のために必要な材料を書き出してみる」というタスクを登録しなきゃいけない。

<タスクリスト>は、タスクを一列に並べたものです。タスクとは、「実際に取れる行動」でしたから、実際に取れる行動が並んでるリストが、タスクリストです。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

ふむ。間違いなくボクが使ってるリストは「タスクリスト」である、と言えそうだ。しかし、Todoリストとタスクリストの違いなんて考えたことなかったなぁ。

「今やれること」だけが目に入るようにする。

ボクは毎日リストを2つ携えて仕事をしている。ひとつは「今やれることリスト」でもうひとつは「あとでやるリスト」だ。朝仕事をはじめようとするとき、タスクリストに誰かから何かをもらってからしか着手できないタスクや実行時刻が決まってて今すぐやれないタスクが混ざってるとなんか混乱するし、数が多すぎて圧倒される。だから今すぐにやれることだけが目に入るようにしたいのだ。

Doingリストは「今からすること」に関するリストです。「今」という時間から10分〜1時間先の時間を管理するのに活躍します。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

ボクの「今やれることリスト」には、時間の概念は関係なく今やろうと思えばすぐにでもとりかかれるタスクが並んでいる。そういう意味では少し毛色が違うのかもしれないけど、今すぐにやれないことを別のリストに放り込んで、ひたすら今やれることをこなしていくというのはDoingリストの亜種なのかな。

ペンディングリストは、連絡待ちのためのリストです。自分が誰かに仕事や作業を依頼し、その結果を待っている状態を管理します。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

それからボクのもうひとつのリスト「あとでやるリスト」はこのペンディングリストだな。連絡待ちだけでなく、予定時刻にならないと実行できないタスクとかも放り込んでるけど、機能的にはまったく同じものだ。

明日やることをすべて書き出してから帰る。

ボクはいつも退社する前に「明日やること」を書き出している。正直やっと帰れるというときに明日のことなんか考えたくないけど、どうしても明日はやってきてしまうんだから、それならばちょっとでもより良い明日を迎えられるよう努力したほうがいいだろう、なんてちょっと意識高めなフリをしてみる。

デイリータスクリストにはタスクレベルでやるべきことを書き込みます。(中略)定期的に繰り返して実施しているタスク(ルーチン)についても書き込みます。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

ボクが作ってる「明日やることリスト」はこのデイリータスクリストだな。やるべきことをタスクレベルで書き出しているし、毎日やるような仕事も併せて書き出している。だいたい明日の自分は今日の自分よりなぜかやれる気がしてしまってたくさん書き出しすぎてしまうのだけれど。

手順が決まっている作業は手順ごとにタスク登録しておく。

ボクのタスクリストの中には、○○作成①ーーー、○○作成②ーーー、というような項目がある。これは○○という毎月作るような資料の具体的手順をタスク化したものだ。こうしておくことで、毎月手順を忘れることなく、漏らすことなく処理できるので重宝している。

チェックリストは、一連の手順を管理するためのリストです。繰り返される行動の標準化や効率化に役立ちます。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

ボクのタスクリストの一部はこのチェックリストの機能も併せ持っているということが言えそうだ。本当は時間を作ってこのチェックリストを誰もが参照できる状態にしておくべきだけど、自分自身は見ることがないマニュアルを作るのは億劫すぎてなかなかやる気が起きない。

「いつかやりたいことリスト」はあるけど、「いつかやらなきゃいけないことリスト」がない。

前述したようなチェックリストを共有することは、リスク管理としてもきっと大事。こういうことを「いつかやる」リストに入れておいたほうがいいんだろうなぁ。これがまぁなかなかできない。

いつかやることリストは、未来のためのリストです。直近に取りかかるわけではないけれども、忘れたくない「やりたいこと」を保存しておくためのツールです。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

ボクだって「いつかやることリスト」を作ってないわけじゃない。ただ、それはやることじゃなくて引用文の中にもあるような「やりたいこと」なんだよな。あえて言い換えれば「いつかやりたいことリスト」なんだ。これだけはTodoistじゃなく手帳に手書きで書いている。

どうもボクには「いつかやらなきゃいけないことリスト」が足りないことがわかった。でも、このネーミング、めっちゃ開きたくないリストすぎる。だって、いつかやらなきゃいけないことだけがずらっと並んでるリストだろ?強烈なプレッシャーを感じるに違いない。

Todoistを見ればやるべきことはすべてある。

ボクは手帳に書いてる「やりたいことリスト」以外はすべてTodoistに登録している。Googleカレンダーに登録した予定はTodoistに連携してタスク登録されるし、買い物リストもTodoistに書き出している。Todoistさえ見れば「やるべきことはすべてある」という状態にしておきたいのだ。

タスクなどはできるだけ一箇所に保存しておき、そこから必要なものを選り分けられる仕組みを作っておくのがよいでしょう。(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門)

まさにこれを実践しているということだな!と得意げに語ろうとした瞬間に「Amazonほしいものリスト」とかスマホに保存してある「あとでよむ」やら「ブログネタ」とか、全然一箇所に集められてないことに気がついてしまった。まぁ、完璧を目指さなくてもいいじゃないか。人間には弱さがあるのですよ。

ボクのタスク管理の評価まとめ。

最後に自分のタスク管理システムの評価をまとめておこう。そんなに深くは考えずにやっていることだけど、まぁまぁちゃんとできてるじゃないかと思うところもあるし、目を逸らして過ごしてきてるところもあるな。

ボクのタスク管理システムの良いところ。

  • Todoistを見れば(ほぼ)すべてのタスクが見れる状態にある。
  • 「今やれることリスト」で集中して作業に取り組める。
  • 「あとでやるリスト」で今やれないことも忘れない。
  • 手順が決まった作業はチェックリスト化してミスを防げている。

ボクのタスク管理システムの良くないところ。

  • 「ほしいものリスト」や「あとでよむ」等、Todoistですべてを見れる状態じゃない。
  • 今やれるからすぐやること、今やれるけどすぐやらないことが「今やれることリスト」に混在している。
  • いつかやらなきゃいけないことリストがない。
  • 明日の「デイリータスクリスト」はやたら楽観的になりがち。

まだ「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門を読了してないのに、もう自分のタスク管理システムを評価しちゃったりしてるし、久々に めっちゃ文章を書き散らかしてしまった。もはや「趣味はタスク管理です」とか言っちゃってもいいのもしれない。さて、じわじわ続きを読みますか!

「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 (星海社新書)

「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 (星海社新書)

DVをなくすには、もはやシビュラシステムを導入するしかないのか。

DVをなくすには、もはやシビュラシステムを導入するしかないんだろうか?シビュラシステムが導入されれば、加害者がどうにかしてDVを隠蔽しようとしたって裁けるようになる。どうごまかそうとしたって犯罪係数が上昇してPSYCHO-PASSの色相が濁ったら問答無用で抹殺だ。

まぁ、シビュラシステムは万能じゃないし、もし技術的に実現可能になったとしても運用されることはないだろう。でも、そんなことを考えてしまうぐらいDV事件には絶望させられる。なんで平然と人を傷つける人間が存在するんだろう。なんで分かってても救えないんだろう。なんで死ななきゃならないんだろう。あー、考えるのめんどくさい。シビュラシステムでヤバそうなやつ、全部排除しちゃえば解決じゃないか!ってあぶないあぶない。その思想こそが危険だ。だいたいろくでもない人間のために大多数のマトモな人たちが犯罪係数を気にしてせこせこ生きるなんて納得できるはずがない。

自分は大丈夫と思って余裕ぶっこいてこんなことを書いてるけど、ボクだってPSYCHO-PASSの色相は決してクリアカラーじゃないだろうし、下手すりゃ泥のように暗く濁ってるかもしれない。「この世には生きる価値のない人間もいる」とか心の何処かで思ってるような人間がクリアカラーでいられるはずがないのだ。

だいたい「考えるのめんどくさい」とか言ってしまうボクのような人間がいけない。DVやるやつの次ぐらいにアカン。もうボクも人の親なんだから、我が子がどうすれば加害者にも被害者にもならずに幸せに生きていけるか、考えて考えてやれることはやっていかなくちゃ。なんかミスチルがそんな歌歌ってた気がするな。なんだっけか。

シフクノオト

シフクノオト

すべて失ってもいいと思えるほどの性衝動ってどんなもんなんだ?

そこそこ地位やら名声やら持ってる人たちが性衝動によって転落していくのは珍しいことじゃない。警察とか先生とか俳優とかまぁ次から次へと出てくる出てくる。「今持っているモノをすべて失うかもしれない」という恐怖を凌駕する性衝動ってのは一体どんなもんなんだ?そんなの男なんだからオマエだってわかるだろ!カマトトぶってんじゃねえよ。今、カマトトなんて言葉使う人いないか。なんか昭和のチンピラみたいな台詞だもんな。ってチンピラも言わない?死語みたいなのが次から次へと出てくる出てくる。まぁ、それはおいといて。

いや、正直なところ、ボクはそんな激しい性衝動はないです。そりゃネットを徘徊してりゃいろんなモノが目に入るし、外を歩いていて刺激を受けることだってたまにある。なんかでもいろいろなことに追われる日常の中、そういう雑念にいちいち振り回されるのがうっとおしくて仕方がない。他にやりたいこと、やらなきゃいけないことがいっぱいあるのに、なんだかムラムラしてしまったら、まぁ一人でこっそり処理しなきゃいけないこともあるわけで。そんなの義務じゃないのに「いけない」とか言ってる時点でなんか男としてはダメな感じがする。いけないんじゃない!イクんだよ!ってなに言ってんだかわからなくなってきた。

とにかく人間の三大欲求のはずだけど、なんか性欲ってめんどくせえなと思ってるボクからすると、そんなことのために堕ちていく人ってのはまったく理解し難い。だからって「だから男は」みたいな論調で責められることに対して「ボクは違う」とか反論しようとも思わない。実際のところ、事件はひっきりなしに発生しているし、女性は安全に生きるためにはそれぐらいに思っておいて慎重でいたほうがいいもんね。だいたい「ボクは違う」なんて言いたがるボクみたいなやつが1番あぶない。なので怪しまれないように人と話すときは「いやぁ、ボクもこう見えてそこそこの性衝動を持つ男なんですよー」と言うことにしている。いや、ちょっと嘘ついた。すいません。

厳しさや正しさのためなら何を言ってもいいわけがない。

もうちょっと世の中がやさしくなればいいなといつも願ってるボクには、この言葉はめっちゃ響いた。

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みんなやさしくなりましょう。厳しくしてもダメだと世の中に知らしめねばなりません。(ぐわぐわ団)

まず、まけもけさんが取り上げている指導者のことを考えてみると、厳しくしないとダメだと思い込んでる人はホントに多いなぁとボクも実感している。「わざと刺さって忘れられないように言っている。言うほうもつらいんだ」と言ってた人が昔いたけど、そんなの言われるほうがつらいに決まってるじゃないの。

人格を否定する言葉とか心をえぐる言葉ってのは、たしかに思惑どおり忘れられないだろう。でも、忘れないのはつらい気持ちと憎悪だけ。そんなものはなんら人の成長の糧にはならない。厳しさや躾のためなら何を言っても良いわけがない。それは親として自分も意識しておかなくちゃなぁ。

あと、世の中の厳しさということで考えると、しくじった人にめちゃめちゃ厳しい人が多いなぁと感じる。そりゃしくじりの重さ軽さはある。でも、これも同じような話になるけど、しくじった人間には何を言ってもいいとはボクは思わない。きちんと正しさを訴えればいいものを、しくじった人間はもう生きる資格さえない!ってなレベルで罵って貶めることはないだろう。正しさを主張してるつもりかもしれないが、そんな言葉で人を罵ってるアナタは人としてしくじってますよと言いたくなる。

正しさを主張するってのも実は難しくて、正しければどんな言い方をしてもいいと思っていたり、正論で囲い込んで逃げ道をふさいでしまうタイプの人もたまにいるけど、アレもしんどいなぁと思う。そこまで人を追い詰める目的はなんだろう。どんな気持ちでやっているのかボクにはわからないし、たぶん共感できないから聞いてみたいとも思わない。もっとやさしさを分けあって心地よく暮らしていけたらいいのにねえ。

寝顔しか見ない父親になりたくない。

最近はなかなか早く帰れなくなっている。とはいえ、日付が変わるとか、睡眠時間が確保できないとかそんな状況じゃない。だったら何を贅沢言ってんだと言われそうだけど、贅沢とかじゃないんだ。家に帰ってバイオハザードをやりたいとか、マンガを貪り読みたいとか、だらだら寝転んで映画見たいとか、そういうことじゃないんだ。いや、それはそれでやりたくないとは言わないけどさ。

朝息子が寝てるうちに家を出て、夜息子がとっくに寝た時間に帰る日々を続けてたら、全然息子に会えないのだよ。寝顔見るだけじゃダメなんだ。腕も腰も痛くたって、タカイタカイしてやりてぇんだよ。風呂にだっていっしょに入りたい。それに奥さんにワンオペさせ続けるのが心苦しくてしょうがない。独りで風呂に入れて寝かしつけるだけでも大変なのは、よく知ってるつもり。

あー、もっと自分に能力があればささっと仕事を片付けて早く帰ってワンオペ育児をすぐにでも解消できるんだろう。いや、ちょっと待てよ。毎日残ってるのはボクだけじゃない。アイツもアイツもアイツも家に帰ってタカイタカイしたいはずだが、いつも帰ってない。みんな仲良く能力不足なんだろうか?いや、オマエといっしょにされちゃ困るって?そりゃすいません。

真面目な話、うちの部署は一人欠員が出てから半年も人が補充されてないし、明らかに人手不足なんだよな。それなのに、なんかまた仕事増やしてくれるし。工数的に無理ですって言ったら、またみるみる表情が変わって「なんでマン」に変身するんだろ?いや、もうそんなのにつきあってる暇ないし。やります、やりますよ。

しかし、今のまま奥さんが職場復帰したら生活は破綻する。世の人々はどう乗り越えてるんだろう?こんな文章を何かの間違いで読んでしまった人が絶望して「コドモなんか」とか思ったらやだな。全然説得力ないけど、コドモはいいもんですよ。育児のつらさばかりじゃなく、楽しさをもっと語っていきたいなあ。

心の声が聴こえたらきっと不幸だ。

ふと思い立って、とにかく頭の中に浮かんだことをひたすら書きなぐってみた。スマホに書き込むんじゃなく、ペンをとり汚い字を書き連ねる。あー、なんかすぐに手が痛くなってきた、とかも書いてしまう。あっという間に紙が字で埋め尽くされる。ううむ。後から読み返すことや人に読んでもらうことを意識しないでひたすら書くってのは、なんだかすっきりするな。知ってたはずだけど忘れてたよ。

書いたものをどう活かすか?というのは大事なんだけど、そもそも頭の中に渦巻いてるのは、何かに活かせる有益なことばかりじゃない。いや、言い方間違えた。ほとんどがくだらない思考で、たまに有益なことが見つかればいいほうだろう、ボクの場合は。よく超能力で人の心が読める能力とかあるけど、ひっきりなしに人の頭の中に渦巻いてる心の声が聞こえてきたら、うるさくて気が狂いそうになるんじゃないか?

ずーっとうつむいてスマホを見てるあの人も、あの人もこの人もなにかしら心の声を発してるはず。それが全部聞こえたとしたら、ちょっとは静かにしてくれよ!なんて叫ぶわけにもいかなくてかなりつらそうだ。ところで、心の声のボリュームとかあるんだろうか?目の前にいる彼女の心の声をを聴きたいのに、後ろでパズドラやってるおじさんのやけにハイテンションな心の声がでかすぎて何も聞こえねえ!とかあるのかな?いや、パズドラじゃなくても、ポケモンでもなんでもいいんだけどさ。

最近、いつも遭遇してた駅の階段下で一心不乱にポケモンやらなんやらスマホゲームに夢中すぎなおじさんを見かけなくなった。定年退職?毎日家にいてスマホゲームばっかやってたら、うざがられて公園にポケモン捕まえに行ったりしてるのかもしれない。いや、近所の公園なんかじゃほしいポケモンが手に入らず旅に出てしまって、駅の階段下では見かけなくなったのか!そうだ。そうに違いない。

はて、なんの話だっけか?まぁ、こんなふうに頭に浮かんだことをひたすら書きなぐるってのは、やたら楽しいってことを思い出したっていうオチのない話でした。

なんでもないようなことをブログに書けるひとはすごい。

「なんでもないようなこと」という単語を思い浮かべるとすぐ物悲しいブルースハープのメロディが聴こえてくる。さらにちょうど一年前とか条件反射的に振り返ってしまいそうになる。だが、今のところ幸せは過去形になってないので物悲しいブルースハープはおいといて本題に入ろう。

なんでもないようなことをさっとブログに書けて、且つ読ませてしまう人ってのはホントにすごいなぁと思う。

blog.gururimichi.com

たとえば、ぐるりみち。のけいろーさん。「夜ふかし」をテーマに話は小学校時代まで遡る。なんだ。夜ふかしは健康にいいとか悪いとかいう話でもなければ、親が寝静まってからヘッドホンで・・・的なシモ系の話でもないのか!「夜ふかしを楽しもう」ぐらいのことしか言ってないのに、こんだけ書けてこんなにするすると読まされてしまうのはすげえ。

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ぐわぐわ団のまけもけさんは前からなんでもないようなことを読ませまくる名手だと思っているんだけど、「歯の神経が死んでいる」だけでなんでこんなに読まされてしまうんだろう?ボクだったら指が1本死んだって読ませるモノを書ける気がしない。そもそもそれって全然なんでもないことじゃないし。

しきりに読ませる読ませると書いてるけど、別に読ませなくても「あー書いた書いた。書いちゃったよー」と自己満足に浸れるような文章をなんでもないことでえいやっ!と書けたら楽しいよなーというのが本音のところ。なかなかボクにはそれができない。できてた時期もあったような気がするんだけど、もう思い出せない。つい考え込んで語れそうなテーマをあれこれ探してしまう。そして、書かずに今日が終わる。

今年のブログの目標はこれだな。なんでもないようなことを、とにかく楽しんで書く。何をいまさら。個人ブログなんてのはそれに尽きるだろう。今まで何を書いてきたんだ。いつのまにか何か大したことを書こうとして楽しめなくなってしまったんかねえ。

ロード

ロード

やるべきことだけじゃなく、やりたいこともやっていこう。

なかなかブログを書けないので2019年最初のエントリーははてなブログの「今週のお題」にのっかってみよう。ということで「2019年の抱負」を語ってみることにする。ぱっと思いつく「かぞくだいじに」なんてのは、2019年だけじゃなく、これからボクの命が尽きるまで思い続けたいことだから、今年の抱負としてはふさわしくないな。そういうことは、ミッションステートメントにでもそっと書いておこう。

そうだなぁ・・・2019年の抱負は「積極的にやりたいことをやる」でいこうかな。

2018年に感じたことで、それなりにインパクトがあったことを思い返してみると、やっぱり趣味の喪失ってのがまっさきに浮かんでくる。これまでずっと多趣味で生きてきて、アレもやりたい、コレもやりたいという感じが普通だったのに、今年になって2019年にやりたいことを書こうとしても、なかなか何も出てこない。100ぐらい書きたいのに20ぐらいで精一杯だ。何かやりたいと思ってもそんな余裕はないな、とすぐにもう一人の自分が打ち消してしまう。

家族が増えて家事・育児でやらなきゃいけないことがかなり増えた。その中でボクが担っていることは、奥さんに比べるとかなり少ないにも関わらず、趣味を喪失したなんて言ってるのはかなり情けない。そんなことを言ってる暇があるなら、奥さんの負担を減らす努力したら?とも思う。

だが、しかし!

楽しく生きるためには「やりたいこと」はやっぱり大事だろう。最近、なんとなく考え方が偏ってるなと感じたときは「この考え方は父親として息子に伝えたいか?」と考えることにしている。今自分が陥ってる思考で言うなら「やりたいことをあきらめて、やるべきことをしっかりやれ」という感じだろうか?そんなことを息子に言いたいはずないじゃないか。

もちろん「やるべきことを放置して、やりたいことだけやれ」なんてことも言わない。ただ、ふとやるべきことに追われるだけで毎日が過ぎていくと感じたときは、ささやかでもいいからやりたいことを見つけてやっていけたらいいなと思うのだ。こうして会社での昼休みや電車での移動時間を利用してちょっとずつでもブログを書くってのも、そのひとつだろう。書いていてそんなにまでしてブログを書きたいのか!と自分で驚く。やっぱり書くのは楽しいねぇ。

今週のお題「2019年の抱負」

ボクはいじめを見過ごす大人になってしまった。

いじめに対して声を上げられない。

学生のころ、クラス内でけっこうひどいイジメがあった。朝から教室の掃除用具入れにAくんを押し込んで「Aくんは帰りました」と誰かが先生に言った。みんなAくんが掃除用具入れの中に押し込まれているのを知ってるけど、誰も本当のことを言わず、1日中Aくんは掃除用具入れの中で過ごした。ひどすぎると思いながらも、ボクは何も言えなかった。その日だけでなく、Aくんはいじめられ続けたけれど、誰も何も言わなかったし、ボクも何も言わずにいた。

あれから何年がすぎただろう?ボクは今もけっきょく変われないまま、いじめを見て見ないふりをするような大人になってしまった。そうは思いたくなくて考えないようにしていたのだけれど、今日Bさんが会社を去ったあと、帰りの車の中でいろいろ思い返していると、いじめに対して声を上げることができなかった学生の頃の自分から何も変われずにいる自分に気がついてしまった。

本質は何も変わっていない。

Bさんが入社して数ヶ月が経つと、上司の口調が変わり、Bさんに対する敬語がなくなっていき、態度も威圧的に変わっていった。上司は自分の方針に異論を唱えるBさんの声には耳を貸さず、強引にねじ伏せようとする。Bさんも結構自己主張する人だったから引き下がらずにさらに異論を唱え、2人が対話すると常に口論に発展するようになった。

もちろん、権力がある上司が最後には勝利する。わかりましたと言い放ってBさんは席に戻る。ボクはそんな光景を何度も見ていた。客観的に見て常にBさんが正しいわけでもなかったし、あからさまに不快感を表す態度はよくないなとは思っていたけれど、それでも上司の横柄で威圧的な態度は目に余るものだった。どう考えても理屈が通らないことも大声で強引に押し通してくる・・・まてよ?ボクはこんな評論家みたいな立ち位置でいてよかったのか?いいはずがない。だってボクは一応リーダーなんだもの。

Bさんがどんなに理不尽に振り回されていても、ボクは立ち上がって上司に意見したりすることはなかった。自分がいじめられるのが怖いからと、いじめを見過ごしていた学生のころのボクと何も変わっちゃいない。そのころとは違って、Bさんに声かけしたり、愚痴を聞いたりはしていたけど、本質的には何も変わってないじゃないか。

人の人生を狂わせた罪を背負う。

ボクはもう上司に対してはとっくに心が折れていて、なんとか無難にやっていこうと思いながら日々を過ごしていた。そこへなかなか自己主張強そうなBさんがやってきて、ボクは何かが変わるかも?と期待していたのだ。人によりかかるのは情けないなと思うけれども。だから、Bさんがやられていても、心の中で応援しながらも立ち上がって加勢することはなかった。そうしてる間に少しずつ、Bさんは当初の勢いを失っていき、今までに辞めた人たちやボクと同じく、心折られて会社を去っていった。退職理由は親の介護だと言っていた。

ほとんどは上司の罪なんだろう。でも、ボクはできたかもしれないことをやらなかった。人の人生を狂わせてしまった罪を忘れちゃいけない。上司だけのせいにして流してしまっちゃいけない。次こそは!と思うけれど、もう何度もそう思い直している。ヘタレなボクに何かを変える力はあるだろうか。「簡単にあきらめちゃいけない」とか「いじめを見過ごしちゃいけない」とか息子に躊躇なく言える親になれるだろうか。

人にやる気を起こさせる伝え方の勉強も大事です。

どれだけ対話したのかは気になる。

ボクはプライベートの時間を使って勉強なんかしたくない。したくはないけど、仕事をしていて、能力不足を感じたら、本屋に足を運び、今の自分に必要な本を買ってきて、買って満足して読まずに積んでおくぐらいのことはする。あかんやん。

そんなボクでもたまには、少しずつ本を読み進めて、何かを学んで少しでも改善しようともがくこともあるのだ。だから、これを読んでも書いてあること自体には、そう大きな違和感は感じなかった。

axia.co.jp

ただ、Aさんとどれだけ対話したんだろうということは気になる。「人生の無駄遣いでしかない」との反論にはどう答えたんだろう。そのあとには「一体どうしろというのか」という感情的な言葉が綴られているから、たぶん話にならなかったんだろうな。こいつには何を言っても無駄だな、ということで会社のホームページに社長が「こんなやつはエンジニアにむいてない」と書き切ってしまうのは、なんだか度量が小さい気がして残念だ。

これからどんどん人手不足は加速するし、価値観が異なる人たちをどう束ねていくかが大事だもんね。いや、ボクは理屈をこね回してるだけで、そんなことできないけどさ。できるなら経営者めざしてるし。いつのまにかボクは自分ができもしないことをえらそうにブログに書くような残念な大人になってしまったよ。

人にやる気をなくさせる伝え方。

そういえば上司にこんなことを言われたのを思い出した。「休みをどう過ごしてるのか知らんけど、2日も休みがあったら1日ぐらい自己研鑽にあてるべきだ。人より抜きん出るためには、そういう努力が必要」細かい言い回しは忘れたけど、こんな感じだった。しかし、人より抜きん出たいという気持ちがないボクには何も響かなかった。あと、これはボクの考えすぎかもしれないが、「休みをどう過ごしてるのか知らんけど」という言葉には「どうせダラダラすごしてるだけだろ?」という決めつけが滲み出ていて、めっちゃ不愉快だった。そのときのなんとも言えない表情も不愉快さを増幅させてた気がする。まぁ、ダラダラすごしてるけどさ。あかんやん。

仕事を遂行するための能力を磨く勉強は大事だけど、人にやる気を起こさせる伝え方を勉強するのも大事だと思うんだけどなぁ。