ちやほやされたいなんて言えない。
思い返せば、私は物心ついたころから肩書きを求めていたように思う。有名人になりたかった。ちやほやされてみたかった。そのためには、みんなをアッと言わせる肩書きがあればいいのだと思った。(言いたいことやまやまです)
https://www.yamama48.com/entry/ujiuji202009
こんなことをさらっと書けてしまうやままさんはすげえな、と思う。ボクは日陰を歩んできた人間なので、ちやほやされるってどんな感じだろう?と妄想したことは何度もあるが「ちやほやされたい」なんて言ったことはない。
たぶん世の中の多くの人はそんなことを言ったら、どう思われるだろう?思われるだけでなく、叩かれたらやだなとそっと胸にしまうようなことだ。
そこでふと考える。 ボクはちやほやされたいだろうか?と。
ツイートすればめっちゃリツイートされて、いいねがめっちゃつく。ブログを更新すればめっちゃはてブされて好意的なコメントが溢れかえる。
ううむ。それはめっちゃ楽しそうだ。
思い返せば、このブログでも何度かバズったことはあって、あれを「ちやほや」と表現するなら素直にまぁ楽しかったなぁ。
でも同時に思い出すことがある。 その後、ボクは以前のように軽やかにブログを書けなくなってしまったのだ。
それはたまたまその記事がちやほやされただけでボクがちやほやされたわけじゃない。でも、勝手にプレッシャーを感じて、自由に書けなくなったし、1ミリもちやほやされなくなると、自分がダメになったような気にもなった。
いや、別にダメになったわけじゃなく、通常運転に戻っただけなのだと頭では分かっていてもなかなか割り切れない。
そんな経験を踏まえると、もうちやほやはいいかなと思うけど、やっぱり自分が発信したものにたくさん共感をしてもらえたらうれしいのは当たり前だよなぁ。
「たくさんの共感」と書いたけど、別にたくさんじゃなくていいなと書きながら気がついた。
ボクはまあまあ偏った人間なので、共感してくれる仲間と呼べるような人が2,3人いれば十分満足できる気がする。
最近、ポッドキャストを積極的に聞くようになって思うけど、そう一般受けしないだろうなと思うようなマニアックな話を延々してるのは、ホントに楽しそうだし、聞いてるのも楽しい。
ボクはちやほやされたいんじゃなく、そういうマニアックな話ができる仲間がほしいだけだな。
そのためには自分はなんのマニアなのかを表明しなきゃ話にならない。「鞘戸 コウは○○の人」ってのを発信していくのがまず第1ステップか。
まぁのんびりやろう。