父親の自覚ってなんなのかわからないけど、それでも子供は育っていく。
以前とは違う箇所が気になるようになった。
久しぶりになんとなく「漂流ネットカフェ」を読み返したくなってページをめくると、主人公が「父親の自覚がない」と妻に責められるシーンがあった。記憶にはあったんだけど、子供がいなかった当時と比べると、子供が生まれた今ではひっかかりの強さが全然違う。当時の感触はもう思い出せないけど、こうして何かを書こうと思うほど、ひっかかりはしなかったことだけはわかる。
(漂流ネットカフェ:1 第1話 遠野果穂 24Pより)
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まぁ、この主人公はあまりにも心ここにあらずという感じで、それがトリガーになってとんでもない世界へ足を踏み入れることになるのだけれど、それはまぁおいておくとして。
父親の自覚ってきっと母親の自覚よりはずいぶんスローペースで芽生えてくることのほうが多いんじゃないかなぁと言う気がする。いや、これだけ世の中でイクメンがもてはやされてるから、もう妊娠検査薬で反応があった時点でワイは目覚めたんや!という人もいるかもしれないが、それは少数派だろう。
父親の自覚なんてよくわからずに時間だけがすぎた。
ボクはといえば、息子が産まれる前からいろいろネットで調べたり、本を読んだりして知識だけは身につけようとしていたけど、父親の自覚というのは、よくわからないまま時間がすぎていった。ただお腹が大きくなった奥さんをいたわらなくては、という夫としての気持ちだけで寄り添っていた。
ついにそのときが訪れて産声を聞いた瞬間も、奥さんの体内から何かが出てくる様を見て、ボクはこれで父親になるのかー!なんて思えなかった。ただただ非現実的な現象にフリーズしてしまって、声も出せず涙さえも出てこなかった。
奥さんに「がんばった。がんばったねぇ」となんとか声を絞り出して言ったつもりだったけれど、奥さんには「何も反応がなく冷たかった」と言われてしまったので、たぶんちゃんと声になってなかったのかもしれない。そもそも、ボクの声はいつでも小さすぎて奥さんに届かないので、聞こえなかっただけかもしれない。
我が子を抱き上げる。壊れそうでこわい。こんな小さくても生きてるんだよなぁ。手を差し出すと小さな手がボクの指をつかんだ。なんだこれ、くそかわええ。ボクの人生に「キュン死にする」なんて言葉が似合う瞬間が訪れるとは夢にも思わなかった。しかし、残念ながらこの瞬間にもボクは父親として覚醒しなかったのである。
無表情か超不機嫌そうな顔、ギャン泣きしてる顔しか見せてくれない息子との日々がはじまった。ワンオペ育児にはしないぞ、とオムツを替えたり、ミルクをやったりを繰り返してると、あっという間に日が過ぎていく。常に寝不足になって、家の中がちょっと荒れてきたりもした。父親の自覚なんて意識する余裕もなく、とにかく毎日が必死だった。まぁ、ボクなんかよりもっと奥さんのほうが必死だっただろうけど。
もし、このときボクが「父親の自覚がない」と責められたとしたら、何も言い返せなかっただろうな。不器用すぎて何をやってもうまくできなくてヘコむことも多かったし、あいかわらず父親の自覚ってのがどういうことなのか、よくわからなかったし。でも、うちの奥さんは1度もそんな責め方をしたことはなかった。ありがたいことだ。
ちょっとおせっかいな案内人にボクはなる。
3ヶ月を過ぎた頃から、息子はボクと目を合わせてくれるようになり、よく笑うようになり、あーとかうーとかほんげーとかよく喋るようになってきた。なんとなく要領がわかってきたし、落ち着いて息子と接することができるようになってきた。週末にはベビーカーを押してさんぽすることが習慣になり、のんびりものごとを考える時間も持てるようになってきた。
さて、この世界をどう案内してやろうか?今はそんなことを考えている。いつのまにか、自分でどこへでも行けるようになり、選び取れるようになって、浮いたり沈んだりしながら世の中を漂っていくんだろうけど、しばらくは案内が必要だろう。ボクはちょっとおせっかいな案内人かもしれないが、キミだけの特別プランを提供するつもりだから、存分に楽しんでおくれ。
それがいつかは父親の自覚と呼べるものになっていくんだろうか。今は想像してみてもよくわからないなぁ。みんなそんなもんなんだろうか?