「心が弱すぎるのがいけない」という言葉は、ボクの心にもグサリと突き刺さった。

すべてフェイクだったのか。

上司が飲み会の席で「心の弱い人にいつまでも関わってはいられない」という主旨の発言をしていて、まぁ、それが本音なんだろうなと思いつつも残念な気持ちになった。ここにそんな露骨な書き方はできないし、したくもないけど、いつも親身になって考えてるように見えたのは、すべてフェイクだったのかと思うくらいドライな発言を「もういいだろう」と思うくらい繰り返していた。

安定的に就労できない人を支えながら、なんとかうまく仕事を回していこうとするのは、やはり限界があるのはわかる。わかるというか、それはボク自身も実感していることだ。しかし、そんな精神状態に陥ってしまってることに、自分の責任は1ミリもないと思ってるんだろうか?ちゃんと向き合って傾聴して適切な指導、支援ができたなら、回避できたのでは?とは考えないんだろうか?

ボクは考えずにいられない。もっと自分にやれることはないんだろうか?と。もし、自分が人の人生の行く末を狂わせてしまうようなことがあったならと考えると、そう安易に人を切り捨てるような発言はできないはずだ。

ボクだってそんなに強くない。

「心が弱すぎるのがいけない」というけれど、ボクだって全然強くないからその言葉は突き刺さった。もし、ボクが精神的に危うくなったなら、この人は親身になって話を聴いているフリをしながら、心の中では「それは心が弱すぎるオマエに問題がある」と思っているタイプの人だ。一見人当たりは悪くないし、あからさまに人の発言を否定したりもしないから、つい話せる人だと思って信じて話してしまうのが悲劇の始まりだろう。

とても難しいことだけど、どうにかして上司が彼らを切り捨てようとする前に「自分にとって何が最良なのか」を一緒に考えて選択させてあげたい。どこか上から目線でえらそうかもしれないけど、「自分がどうしたいのか」の気持ちの整理すらつかない状態なのかもしれないと思うから、これは偽らざる本音だ。

考えて答えを出すなんてのはそう簡単じゃないこともわかるから、今どんな気持ちでいるのかだけでも聴いてみたい。ボクには話せないこともあるだろうし、聴いたからといってボクに何ができるのかもわからない。でも、このままではどこかで彼らにとって人生が行き詰まる結末に向かってしまうような気がする。

ただ、現実を直視すると、自分自身が抱えてる課題も楽勝で片付けられるわけじゃない。気持ちはあっても、なんとか仕事を支障なく回すのに追われる日々でどこまでやれるのか不安が募る。自分の力量不足が悲しい。

まぁ、でもこうやって休みがとれて、ブログなんか書いていられるうちはまだまだがんばりしろはあるよなー。力量不足というか自分に甘すぎるんだろうな。もうちょっとがんばろう。

グサリとくる一言をはね返す心の護身術 (SB文庫)

グサリとくる一言をはね返す心の護身術 (SB文庫)