察し力が低い人間にとって、心病む人が救いにならないこともあるよ。

メンヘラという言葉はどうもスキじゃないので、「心病む人」と表現するけど、ボクは一時期、やたらと心病む人を引き寄せる性分だった。そんなに単純な話じゃないけど、わかりやすく言うなら、接する人誰もかれもが「死にたい」と言い出すような感じ。そんな状況に陥っていると、自分が人を「死にたい」状況に追い込んでしまってるんじゃないかと思い始めて、自分自身も危うかった。

ズイショ (id:zuiji_zuisho)さんのこのエントリーを読んだら、そんな昔のことをふと思い出して、いろいろ思い浮かんだこともあったのでちょっと書いてみる。

zuisho.hatenadiary.jp

そこで登場するのがメンヘラです。メンヘラはいつだって自分の満たしたい欲求を言葉と身体を以って全力でアピールしてくれます。どうすれば自分が嬉しいか、どうすれば自分が喜ぶかを一から十まで過剰すぎるほどにプレゼンし続けます。これが、察し力の低い人間にとって救いではなくて一体なんでしょうか。メンヘラはたしかにむちゃくちゃです。要求が度を過ぎることもしばしばです。というか、度を過ぎてからがメンヘラです。

メンヘラホイホイになる奴は察し力が低い - ←ズイショ→

たしかに心病む人は、最初はすごい勢いで自分の満たしたい欲求を言葉と身体で全力でアピールしてくれる。「今すぐ来てくれなきゃ死ぬ」とか。実際、夜中に車を走らせたこともあったなぁ。でも、傾向的にわかりやすいのは最初だけだった気がする。ズイショさんの言う「察し力」をちょっとでも発揮したなら、それに反比例して心病む人のわかりやすいアピールは消え失せていく。

思っていることをストレートに言葉にはしないどころか、正反対の言葉を口に出す。急に怒りだして攻撃的になったり、なんの脈絡もなくいきなり電話を切ったりする。そうかと思えば、また泣きながら電話してきたりする。意図してるのかしてないのかは解らないけど、ボクがどれだけ真剣に理解しようとしてるのか試すようなところもあったんだろう。そんなことを毎日続けていると、自分もいつのまにか心病む人となっていく。

そんな過去の経験を思い返すと、心病む人は察し力の低い人にとって救いになるのかどうかちょっと疑問だ。ボクは何人かの人と接する機会があったけど、残念ながらいずれも救うことはできず、ボクにとっても救いにはならなかった。たぶん、あんな状況に陥ってしまったのは、ボクの察し力の低さ故だったんだろうし。

あれから、ボクはつい人に一歩踏み込んでしまうのをやめて、早めにブレーキをかけるようになった。どう見ても心から笑ってないだろうとか感じることがあっても、言葉をかけたりしなくなった。ボクには心病む人をずっと支えうるだけの力がない。変に期待を抱かせておいて失望させるのは、あまりに残酷すぎるもんね。

というわけで、メンヘラホイホイになる奴は察し力が低いのかもしれないけど、それが果たして救いに繋がるかどうかはなんとも言えないなという、オチのない話でした。