自分がいなくなった世界を、いつも考えている。
ボクは自分がいなくなった世界について、しょっちゅう考えている。できれば考えたくないけど、考えずにはいられないのだ。ただ、それはあの人やこの人がシアワセでいられるように、とかいう博愛主義的な精神なんかじゃなく、もうちょっと利己的で切実な思いからくるものだ。
ボクも奥さんも共に平均寿命ぐらい生きたとしたら、まちがいなくボクのほうが奥さんより先にいなくなってしまう。そう考えると、自分がいなくなった後のことが気にならないはずがない。
まあ、ぼくがいなくなっても、この世界にたいした影響は起こらないだろうし、むしろ影響なんかあってほしくない、そんなめんどくさい話はお断りである。(犬だって言いたいことがあるのだ。)
以前のボクなら、この言葉に激しく頷いていただろう。自分1人がいなくなったところで世界に影響なんかあるはずない。でも、いつからか、きっと奥さんの世界は変えてしまうだろうと思ってしまうようになった。とても寂しがりやな奥さんはどうなるだろう。
そんなの何十年も先の話なんだろうし、今目の前にいる奥さんを見て心配したって意味がないことはわかってる。それでも、ふと想像してはちょっと切なくなってしまうときがあるんだよなぁ。どんなに大切に思っていたとしても、これだけはどうすることもできない。
まぁでも、たぶん、子供ができたりすると状況は変わっていくんだろう。奥さんも寂しがりやな女子から、たくましい母親に変わっていくのかもしれない。そうなったら、ボクはやたら心配せずに散っていけるかな。
いや、今度はボクのほうが寂しくなっちゃうのかもしれないな。ボクだって、奥さんよりも子供のことを思うと、そう簡単にいなくなるわけにはいかない!とか思うようになっていくんだろうか。