丸パクリしてまで注目されたい人の心理を考えてみる。

無意識に人の言い回しをパクってしまう。

ボクはよく人の言い回しや口癖を無意識にパクってしまう。それはあまりに他愛もない内容なので、例として挙げるモノが思いつかないんだけど、自然と自分の口から出たときに「あ、コレはあの人の言い回しだな」と思い当たることがある。

そういえば、ボクは奈良県民だけど、奥さんと話すときは関西弁をほとんど話さない。もともとは千葉出身の奥さんには、意に反して関西弁がキツく感じられることがある、というのを意識して控えるようになったというもあるけど、奥さんの話し方が伝染ったというほうが正しい。そう。ボクはパクるというよりも、人に影響されやすいのだ。

もしかすると、こうして書いているブログでも無意識に誰かの言い回しをパクってることがあるかもしれない。自分で気がつくところはないけれど、もし、気分を害されてる方がいらっしゃったら、遠慮なくご指摘下さいませ。

そんな感じではあるものの、完全に自分を消してしまうほど人に影響を受けたことはない。というか、それって洗脳だし、さすがにそこまでのレベルに陥りそうになったら必死で抵抗する。こんな自分にもささやかな執着はあるのだ。

ツイート丸パクリ問題に驚愕する。

こんな驚愕の記事を読んだ。数年にわたって自分のツイートを丸パクリされ続けて、ついに告発にふみきった、というような内容だ。

数年にわたるパクツイの件に関して - 下山先生タバコ逆さだぜ

よく、フォロワーの多い方がいわゆるネタツイートとよばれるような 面白いツイートをパクられてしまう事案は聞きますが、 私の場合はなんの変哲もない、ただの日常的なつぶやきを多くパクられました。 非常に気持ち悪かったです。(下山先生タバコ逆さだぜ)

検証画像を見てみると、単純丸パクリじゃなく、わざわざちょっとだけ表現を変えながらパクっている。これはある意味すごい。そんな労力をかけてまで手にしたかったものはなんなんだろう?と興味をひかれて最後まで一気に読んだ。

やはり、友人さんたちに「感性のある人間」だと思われたく行っており、嫌がらせのつもりではなかったとのことです。(下山先生タバコ逆さだぜ)

要するに最近よくある「人に注目されたい」という欲求に動かされての行動だったらしい。丸パクリしたモノに対して人から反応をもらって何がうれしいんだろう?丸パクリするときには、まず自分を完全否定する必要がある。「自分は人に注目され得る感性を持ちあわせていない」という事実を受け入れて、人が生み出したモノで自分を飾る。それに対して「すごい!」やら「変わってるねー」やら「へぇ」とか「ほぅ」とか色々反応が返ってくる。それで満たされるんだろうか?

本当に満たされることなんかないだろう。普通の感覚なら、パクった相手への罪悪感は消えないだろうし、ずっと自分を否定し続けなきゃいけない。その飾った自分に対してもっと親しくなりたい、と思う人が現れたら、そんなの欺き続けるのはムリだろうから、いつか逃げ出さなきゃいけなくなる。

それでも、自分の言葉で語ろう。

そんなにも「人に注目されたい」欲ってのは抗いがたいモノなのか。ボクだってこうして人に読まれる環境でブログを書いてるから、もちろんそういう欲求はあるけど「どんな手を使ってでも」とは思わないもんな。

もしかしたら、日常生活の中で人に注目されるどころか、誰からも相手にされない寂しい人なのかもしれない。だとしたら、カウンセラーでもなんでもないボクが理解できる領域の話じゃないな。寂しさは人を狂わせることがある、というのは少しは理解してるつもりでも。

ただ、アタリマエだけど、悪意があろうとなかろうと人のモノを盗るのも、それを使って人を欺くのも許される行為じゃない。何か食って「うまい!」しか言えなくても、映画を見て「あー、おもしろかった!」としか言えなくても、それが自分なんだからしょうがないじゃないか。

それでも、自分の言葉で語りましょうよ。ってなんだか、つまらないエントリーしか書けないのを開き直ってるみたいになってしまった。いやいや、言いたいのはそういうことじゃなくてですね、あのその、つまり・・・以上です。

ズイショ (id:zuiji_zuisho)さんのこの強制終了ワザってムリやり終わらせるとき、便利だなー。これはパクリじゃなくリスペクトなんだからねっ!

フェイク

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