スポーツで子どもを壊す毒親になりたくない。

人が壊れても、まっとうすべきものなんかない。

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ボクはスポーツはからっきしだ。幼いころは水泳、剣道、野球、バスケといろいろやったけれど、ひとつとしてマトモにやれたモノがなかった。いろんな場面でスポーツに巻き込まれそうになると、憂鬱なキモチに苛まれてきた。

 

そんなスポーツの楽しさを理解できないボクだから、余計に信じがたいけれど、世の中には人として壊れてしまったとしても、スポーツをまっとうすることが大事な人もいるんだなぁ。 

スポーツやめたいけど、やめられない 苦しむ子どもたち:朝日新聞デジタル

 

 

中学生のアヤ(仮名)が「ママ、練習に行って欲しい? でも、行けない」と泣きじゃくったのは、昨夏のことだった。玄関を出ようとすると過呼吸になり、食べたものを吐いてしまった。(朝日新聞デジタル

ありえない。こんな状態になってまでスポーツをやり続ける意味なんてないだろう。

その指導者はもともと保護者たちがいない場では、日常的にミスした子どもを平手打ちや足蹴にしていたが、アヤはこの日を境に、精いっぱいやったことが全く認められないことに悔しさと違和感を覚え始めていた。(朝日新聞デジタル

これはスポーツ指導者という仮面をかぶった犯罪者じゃないか。どれだけ巧妙にやっていたとしても、ウワサは耳に届くだろうし、それでも、子どもが極限状態に陥るまで放置するなんて、親もひどすぎる。いや、むしろ親がひどいのか。

 やりたいことのほうが多い毎日にしてあげたい。

 子どもはできるかぎり親の期待に応えようとする。スポーツなんかはとてもわかりやすくて、まずは「続けること」それから「勝つこと」で親の期待に応えようとする。楽しんでやってるうちに結果が出て、親が喜んでくれた記憶が残る。もっと喜んでほしくて子どもはがんばる。親も煽るかもしれない。

 

別にそれが悪いわけじゃない。いつのまにか「結果を出さないと、喜んでもらえない」「やめたら、要らない子だと言われるかもしれない」そんなふうに子どもに圧力をかけているのに気づかないのが、許しがたい罪だと思う。気づかないどころか、実際に言葉にして意図的に追い込む親だっているだろう。

 

大人になれば、やらなきゃいけないことがあふれかえってきて、そんな中でもどうにかやりたいことに時間を割きたいともがくことになる。せめて、子どものころは、やらなきゃ、よりもやりたい、のほうが多い毎日にしてあげられたらいいのになぁ。

 

まだ親になったことがないから、こんなことが言えるんだろうか。でも、今感じていることを忘れずにいたいなぁ。

毒になる親

毒になる親