聞き上手でありたい。でも、自ら話したいときもあってブログを書いてる。

聞き上手でありたい。

 ボクは常日頃、聞き上手でありたいと思っている。正直なところ、積極的に話の主導権を握るのは得意ではないということもあるし、相手にしっかり共感して、心に届く言葉を返したい、というのが信条だからだ。

 

で、やっぱりこういうNAVERまとめはすかさずチェックしてしまうわけだ。

聞き上手になるための7つのルール - NAVER まとめ

 

 

 

なるほど!「すしうまい」だな!肯定的な相槌やオウム返しを駆使して、それからメモを取りながら話を聴けばばっちりだ!とか安易なテクニックを身につけようとしてしまう。簡単に実行できそうなものからやろうとしてしまう人間の性(さが)というか。

 自分はテクニックを使ってるだけの人なのか? 

だが、しかし!こんな記事が目に止まって考えさせられてしまった。

「聞き上手」とはどのような人か | 安達裕哉

 

 

しかしテクニックは所詮、テクニックにすぎない。

「聞き上手であると思ってもらいたいから、そういったテクニックを使っているだけ」の人である。周りの人もバカではない。本人が聞き上手を演じているだけなのか、それとも本当の聞き上手なのかは皆わかっている。

 いてててて。聞き上手を演じて人を謀ろうとかは決して思ってないけれど、やっぱりテクニックを使ってるだけじゃ、ダメだよなぁ。そもそも、冒頭に書いた自分の信条とは全くズレてる。相手の心に届く言葉は、テクニックなんかで紡ぎ出せるものじゃないだろう。

「だから私はこう思う」についての判断を保留し、一旦自分で咀嚼する。そして、相手の価値観に合った発言ができれば発言し、そうでなければ相槌を打つにとどめる。

 これはわかる。わかるけどカンタンじゃないな。これは相手の価値観に合った発言だろうか?と考えすぎると、何も発言できなくなってしまいそう。日頃、つきあいのある人だと価値観はある程度把握できてるけど、そうではない人の価値観なんて把握できてないもんなぁ。

 聞き上手をめざしていても、自ら話したいときもある。

ちょっとまてよ?

 

「だから私はこう思う」というのを一方的に書き綴りたくてブログを書いているボクは、本当は自ら話したい人なんじゃないだろうか。だとしたら、聞き上手をめざそうとすることにムリがあるのかもしれない。

 

でも、直接の対話で特定の誰かに一方的に思想をぶつけることを望まないから、こうしてブログを書き、人と向き合うときは聞き上手でいようとする、と考えるなら、そこにムリはないような気もする。

 

そりゃあ、聞き上手でいたいとしても、自分の意見は表明したいよね。人に話を聞いてほしいときもあってアタリマエだ。

なるほど、それでボクはブログを書いてるのか。(いまさらかよ!)