ブログに日記書いちゃダメと言われると書きたくなる。

いつのまにやらブログで日記を書いたらダメという声が大きくなっているらしい。昔はブログで文章を公開するときは「こーの日記」みたいなタイトルが溢れかえってたのに、時代は変わったんだなぁと少し寂しいようなどうでもいいような複雑な思いに揺れ惑う今日このごろ。

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こんな日記みたいな記事を書いても誰も読んでくれない……と悩むぐらいなら、とりあえず投稿してしまいましょう。(ぐわぐわ団)

そうそうこれだよ。ボクは別に誰も読んでくれなくてもいいかな、と振り切って好き放題書くようにしたら、どんどん書けるようになった。ホントに読まれてなくて、もうブログをはじめた当初ぐらいのアクセス数に戻ってしまったんだけど、そんなことは気にしない。

ちょっと待て。誰にも読まれなくていいものをなんでネットに公開するんだよ。そんなことして後悔しないのか?ふむ。なかなかいい質問だ。読まれないのをいいことにさらりとオヤジギャグを忍ばせているのもなかなかいい。なんで公開してんだろう。だいたいボクの場合、日記は手帳に書いてるし、それに加えてなんのためにブログに日記なんか書いてんだろう。

やっぱり誰かに読まれたい。

まぁ、間違いなく「誰かに読んほしい」という思いがゼロなわけはないよね。自分が書いたものに対して何らかのリアクションがあることってのは、知ってしまうとやみつきになる面白さがあるんだもの。公開しておけば、たまに物好きな人やどうしようもなく暇な人が読んでくれる可能性はあるわけで。せっかく読んでくれる人をディスってどうする。

たまには長文を書きたい。

ボクは手帳に日記を書いてるけど、それはTwitterで呟くような短文でしかない。

もう明日は仕事かー。9連休ですらあっという間だ。部長に会うのがいやだなー。平和な日常が終わる。(2018年8月19日 こーの手帳より)

まーこんな感じに手帳にはどうでもいい日記がほんのひとことで書いてある。これをブログに書くとなると、何がいやなのか、なぜ平和な日常が終わってしまうのか、今日の晩ごはんはなんなのか、そんなことが盛り込まれるだろう。長文にすることで自分でも気づいてなかったような頭の中にあるモノを吐き出せるのが面白いんだよなー。

公開しなくても長文書けばいいじゃないか。たしかに!それはそうなんだけど、手帳は手書きなので長文書くのはめんどくさすぎる。そして、人に読まれることを意識しないとなかなかまとまった文章って書けないんだよね。そうか。ボクは人に読まれることを意識して書いた自分の日記を読み返すのが好きだけかもしれない。なんだ、ただの変態か。

日記の魔力

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