白みがかった麦茶を嫌悪していた。

牛乳を飲んだコップに麦茶を注ぐのがイヤだった。なんか白みがかった麦茶は飲む気が失せる。他にコップがないときなぞは、えいや!と試しに飲んでみたりする。味には特に影響はない気もする。それでも、ボクは白みがかった麦茶を嫌悪し、使用済みコップを増やす夏休みを過ごしていた。

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月日は流れ、ちぢれた毛と引き換えに純粋さを失ってボクはおっさんとなり、今は毎日シンクの前に立ち、食器洗いにいそしむようになった。今なら使用済みコップを際限なく増やすことの罪深さがいかほどのものか解る。長らくの間、1時間半ぐらいかけて格闘していたのだが、最近は30分ほどでだいたい終えられるようになってきた。息子の離乳食がはじまって洗い物がかなり増えてしまったけれど、負けるわけにはいかない。

いつか息子が「高身長イケメンになるんや!」などと言いながら牛乳を飲み干し、すぐさま「やっぱり牛乳はすぐ喉渇くわー」とか言いながら別のコップを取り出して麦茶を注ぎ始めたらどうする?まずはボクの息子なんだから、どんだけ牛乳飲んだって高身長はムリだということを伝えよう。そして、イケメンもムリだという現実を突きつける。人に与えられた時間は有限。努力の方向性を間違えてはいけないのだ!

それから、軽く水でゆすいでから麦茶をを注ぐことを教えよう。こうして、親というものは自らが成しえなかったことを子供に期待していくのだな。「ちょっとすすげば、ほら麦茶は白くならない。3秒でできるだろ?」とか言っちゃうんだろうか。人を見下すために使われる3秒。イヤすぎる大人にボクもなってしまうのだろうか。

しかし、使用済みコップを超量産してたはずだけど、母に怒られた記憶がない。疲れた体を引きずって、独りぶつくさ言いながら洗ってたのかもしれない。ごめんよ、かあさん。