子供がいない未来は、想像してなかった。

p-dress.jp

タイトルが気になって読んだ。

いろんな生き方があっていいと思うし、人の決断にとやかく言うつもりはない。ただ、「子供がいる幸せな家庭を想像できない」とか「子供の世話や家事のほとんどを自分ひとりですることになる」とか「産んでおいて早くに自分がいなくなるということも可愛そう」という言葉を見ると、どうにも気になってしまう。

本当に子供を持たないという選択は、心から望んだ選択なんだろうか、これまでの境遇や環境に選ばされてるんじゃないだろうかなんてことを考えてしまう。まぁ、これははっきりいって余計なお世話だな。当人が幸せだって言ってるんだもんね。

でも、解決策が見えないわけじゃない家事の問題については、子供がいるかいないかに関係なく、夫はがんばらなきゃ。ボクだって全然至らないし、いつまで経っても家事スキルは進歩しないし、早く帰れないときは挫けそうになるし、何もなくたってすぐイヤになるんだけど、何回も何回も思い直してる。孤独にさせちゃいけない。いっしょにがんばらなきゃ、と。

まー、余計なお世話はこれぐらいにして、子供を持つ、持たないの話に戻そう。ボクはといえば、いつからかは分からないけど、ぽんやりと結婚したら、子供ができて、幸せな家庭を築けたらいいなぁなんてことを思っていた気がする。とにかく子供がほしいとは、なんとなく思ってた。それはきっと、幸いなことに「子供がいたら楽しそう」と想像できる自分であったからだよなぁ。

うちの奥さんは、わかりやすい毒親に育てられた人だけど、「子供はいらない」という方向へは向かわず、早くから子供を持つことへの憧れみたいなのを抱いていたみたいだから、ボクらの場合は、「子供がほしい」という気持ちは何の苦もなく、夫婦で一致していた。

だが、しかし。

ほしいと望んで、がんばればすぐ子供は授かるだろうとなんら疑うこともなく、過ごしてたボクらの前に大きな壁が立ちふさがることになる。世の中にも身近にも、子供ができてから結婚する人なんて、めずらしくもなくなった昨今。その気になれば、すぐ子供はできるもんだと思い込んでたんだよなぁ。

「そろそろ子供がほしいなぁ」と思い始めてから月日は流れ、ようやくボクは子供ってのは、ほしくなったらすぐできるもんじゃないんだ、と思い知ることとなった。そして、ボクらは不妊治療への道を歩むことになるのだが、どうも話が長くなりそうだから、今日はこのへんで。