どう罵倒するか?を考えるのをやめて、どう褒めるか?を考えるわけにいきませんか?

理屈と正しさだけじゃ人は動かない。

今まで仕事してきて「うちの会社には褒める人がいないな」とずっと思っている。昔は特定個人の価値観の問題だと思っていたけれど、どうやら褒めないのはうちの社風のようだ。人が入れ替わっても積極的に褒めようとする人は現れないもんな。

最近話題になってたこの記事を読むと「日本の」とデカすぎる主語で書かれていて、日本の企業には少なからずそういう傾向はあるのかもしれないなとちょっとほっとしたような、なんとも言えない気持ちになった。

nzmoyasystem.hatenablog.com

そりゃミスを注意されるのは仕方ないとは思いますが、普段そつなく仕事をこなしているときに一切評価されず、失敗したときにだけ言葉が飛んでくるってなると、これはどうにも納得がいかない。「ミス無く仕事するのは当たり前、評価に値しない」と言われているかのようです。(NZ MoyaSystem)

これ、言われているかのようです、じゃなくてはっきりとほぼそのまま言われたことあるし。「ミスなく仕事をするのが当たり前でそれ+αで何かを呈示してこそ価値が生まれる」というような理屈だったかな。いや、ホントにそのとおりだし、そう言われると反論の余地はない。ただ、人間って理屈とか正しさだけじゃ動けないでしょ。いや、それこそ主語がでかすぎるか。

罵倒されて発憤したい人なんていない。

自分が褒められたことがほとんどないことについては、まぁ自分に問題があることも否定しきれないとして、誰かが褒められてるのも見たことがないんだよなぁ。貶められてやる気を失っている人、心を病んでしまったような人は何人か見てきたけれど。

bylines.news.yahoo.co.jp

「上の人が下の人に対して、下の人が反発心を憶えるような"相当厳しいダメだし"をケチョンケチョンに行い、下の人が、"なにくそ"と反発心を憶えることで、モティベーションがあがり、物事に積極的に向き合うようになる」(Yahoo! JAPANニュース)

これを読んで思い出したんだけど、「オレだって言いたくないことを、心を痛めながらオマエに奮起を促したくて言ってるんだ」そんなことを言う人に遭遇したことがある。いや、人格否定に至るような"相当厳しいダメだし"にそんな効果があると本気で心から思ってる?「罵倒されて発憤したい!」なんて思ってるMな人は滅多にいないだろう。

そんなことはたぶんわかっているはずで、それでも繰り返すのは「どうせ言ってもわからんヤツは、ムチうってでも動かすしかない」という心理状態にあるからじゃないだろうか。どう罵倒するか?に頭を使うより、どう褒めるか?に頭を使うわけにはいかないのかなぁ。

なんだか解決策の見つからないことをぐだぐだと書いてしまった。せめて自分はこれからも、仕事でも家庭でも身近にいる人たちのいいところをさがすことを意識して続けていこう。人に求める前にまず自分からだよなぁ。

職場がイキイキと動き出す 課長の「ほめ方」の教科書

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