ほしい物リストでお手軽に完結してしまう恩返しはなんだか寂しい。

どこにいてもアウェイだな。

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ライフハック界隈(という呼び方が適切かどうかはよくわからない)のブロガーの方々と呑む機会があって京都に出向いてみた。まぁ、話は6割ぐらいしかわからないので、なんだかアウェイ感はハンパない。

いや、ちょっと待て。自分にとってアウェイ感のない場所なんかあったっけ?ボクはどこにいたって、その輪の中に浸ってる感覚を味わったことなんかないじゃないか。まぁ、自ら積極的に輪の中に入っていかないんだから当たり前だろう。

それはさておき、その場で話題になった「ほしい物リスト」の話がおもしろかったので、ちょっと書いてみることにする。もしかしたら、誰かを軽くディスるような話なのかもしれないので、誰が何を言ったかは書かない。

ほしい物リストの公開で失われるもの。

ボクはそもそもAmazonのほしい物リストをちゃんと使えてない。いきなり買うのもなんだし、ちょっとほしい物リストに入れておくか、と使うこともあるんだけど、やっぱり買っちゃおう!と5分後には買ってしまうことが多くて全然意味がないのだ。ほしい物リストに一旦入れる手間がムダすぎる。

ほしい物リストを公開して、人から物をもらうってどうなの?」と誰かが言い出した。まぁ、ボクは自分がやろうとは思わないけど、別に好きにすればいいんじゃないの?と思ってるので特に何も言わずにいたものの「ほしい物をもらうことで、簡単に貸し借りナシになるのは果たして人と人との関係性においていいことなのか?」みたいな意見があって、ちょっと唸ってしまった。

経済的事情もあるかもしれないけど、すぐに買わずにほしい物リストに入れる物っていうのは「なにがなんでもほしい物」じゃない気がする。そういう意味でズイショさんが命名した「そこまで欲しくないものリスト」ってのは言い得て妙だなと思うわけで。

zuisho.hatenadiary.jp

人と人とのいろんなやりとりの積み重ねがあって「何かの機会にあの人には恩返ししたいなー」とか思い始める。その相手が「ほしい物リスト」を公開する。あ、じゃあこれを贈っておこう!とお手軽に恩返しが完結する。そんな単純なモノじゃないだろうけど、なんだか寂しい。ボクはそこまで欲しくないものをもらうより、ちょっとツラいときにほんのひとこと声をかけてもらったりしたほうが数倍うれしいなぁ。

ただ、誕生日プレゼントを考えるときには助かるかもしれない。でも、想定外のサプライズはなくなるよなー。独力で考えてプレゼントを贈ったらズレてて「ほしい物リストを公開してるんだから、ちゃんと見て考えてくれよ」とか悲劇も起こりそう。要らないモノをもらうことがなくなっていいじゃないかという合理的な考え方もわかるけど、なんだか楽しくない。

これを贈ったら喜んでくれるかなぁ?と悩む時間は楽しく尊いモノで、ボクは結構好きなんだけど、時代は変わりつつあるみたいだ。