「わかる」ためには身を滅ぼす覚悟がいる。

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直接的な言及じゃないんだけど、この2つの記事を読んでいたら、思い出したことがあったのでちょっと書いてみる。ちょっとネガティブに寄ってしまう予感もするので気をつけなくちゃ。

人の心に手が届いた気がした。

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最近はじっくり人と話し込む機会ってあまりないけれど、昔そんな機会を積極的に持とうとしてたときがあった。話し込むというか、どちらかというと、人が一方的に話すのを聴き続けるというほうが正しかったのかもしれない。

その人の整理のつかない、うまく言葉にできないような話をじっと聴き続けていると、だんだん何が言いたいのか、何がツラいのか、何がほしいのか見えてくる。そして、だんだん感情移入して、どうにも涙腺がやられていく。

「そうかぁ。それってホントは◯◯したかったんじゃないかなぁ。たぶん、◯◯って言いたかったんじゃないかなぁ」そんなふうにつぶやくように絞りだすように言葉を返してみる。ある人は「なんで、そんなにわかるんだろう・・・」と言って涙をこぼした。ボクはかなりうろたえた。ボクは何もわかってなんかいない。差し出された断片的な情報をつなぎあわせ、感情を拾い集めて感じたことを口にしたにすぎない。

でも、人の心に手が届いたような気がして、誰かの役に立てるような気がしてうれしかった。それからとり憑かれたようにそんなふうにいろんな人と話す機会を増やしていって、ボクは人の心がわかるような錯覚に陥っていった。

疲弊したり、依存したり。

昼夜を問わず電話が鳴るようになった。絶えず長文のメールが届くようになった。そのすべてに手を抜くことができなかった。こんなボクを必要してくれてるんだから。疲れていても、気分が沈んでいても、自分のことは置いといて、最大限、誰かの心に寄り添おうとした。

延々と同じ悩みを吐露し続けてぐるぐる回ってる人の話を夜中まで聴いていると、意識がとびそうになることもあった。さっきまで笑っていたと思ったら、急に「死にたい」と言い始める人がどうしたら笑って生きられるのかと悩みながら明ける夜もあった。

そんな日々をずっと続けているとさすがにツラくなってきて、すべて放り出したくなりながらも、ボクにはできなかった。そのときは人のためと思い込んでいたけれど、実はそうじゃなくて自分のためだったと後から気づくことになる。

他の誰かを見つけると、人はあっさりと去っていく。きっと疲弊したボクには、人の心を満たすことができなくなっていたんだろう。知らず知らず傷つけたりすることもあったかもしれない。人がいなくなっていくのは、あまりに寂しく空虚だった。どうやら依存していたのは、ボクのほうだったらしい。

ひとりになって、考えたこと。

そして、ボクはひとりになった。

もう不用意に人の心に踏み込んでいくのはやめよう。人の心がわかったふりをするのはやめよう。そんなの、わかるはずないんだから。

あれから何年も過ぎたのに、いまだに人の話をじっと聴いてると、思わず「それってホントは・・・」って言い出しそうになることがあって苦笑する。でも、今は人と生きるか死ぬか?なんていう会話をすることはないし、これは触れちゃマズい話だな、とか一歩ひくことができるようになったから、少しは変われたのかなぁ。

そんなわけで、ボクは「わかる」ためには身を滅ぼす覚悟がいると思っている。それぐらい真剣に見ようとしなくちゃ、人の心なんか見えない。それでも、きっとちゃんと「わかる」ことはないだろう。でも、たぶん、わからなくて、たまにふと重なるぐらいがちょうどいい。それはほんの一瞬かもしれないけど、いっしょに泣いて笑える瞬間を大事にしたい。

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