感情の見えない友達ごっこや不気味な自動はてブを見て、我が身を振り返る。
どこにいても社交辞令はしんどい。
もうこのブログやめます、と言われてるエントリーを引っ張ってきて語ろうとするのはどうなんだろう?とちょっと迷ったけど、どうもいろいろ頭をよぎることがあったので書くことにする。
なんだろ、「はてなでブログやってる人つながろーぜ!」というのはわからないでもない。趣味の友達が欲しいんだなぁとか遠い土地に住んでいる人とコミュニケーションがとれたら楽しいだろうなとか、そういうのは楽しいと思う。でもその「内輪ノリ」にはそういう「感情」が感じられない。言葉だけ見ると「面白いですね」「参考になります」だけで悪いことは書いてないのに、「感情」が伴っていない。傍から見るととっても不気味。一体何のためにこの人たちは「友達ごっこ」をしているんだろう、みたいな。何かに叱られないように必死で媚を売っている子供のようだ。何かに怯えているように見える。(無要の葉)
ちょっと引用が長すぎるけど、語ろうとするにはどれも削れなかったのでしょうがない。ボクはここで言われてる「つながろーぜ!」を楽しみたい人なので、まず内輪ノリは肯定派だ。なので本当に楽しそうにはてブ返しをしてるのを見ると、それはほどほどにしたほうがいいよとは思うものの、人のことをとやかく言う気にはならない。自分はやらないけど。
でもなー。ここで語られるように「感情が見えない友達ごっこ」的な作業にいそしんでいる人を見ると、不気味とは言わないけど、なんか人生大変そうだなぁ、一体なんのためにやってるんだろうとは思ってしまうかな、やっぱり。
学校とか会社とかイヤでも集団生活を強いられる場所なら、そんな社交辞令を避けられないのはわかるけど、自ら選んでやってるインターネット上でそんなにがんばる必要があるんだろうか。
人が不可解な行動をとる理由を考える。
どこかで「感情の見えない友達ごっこ」を見ていた記憶がある・・・と思いを巡らせて思い出したことがある。もう数年前のできごとだけど、とある音楽系SNSをやっていたときのことだ。そのSNSはJASRACで管理されている楽曲をパソコンやらシンセで打ち込みコピーして公開できるというのが最大のウリで、ボクは稚拙ながら自分でも作品を公開しつつ、他の人の作品をまったりと楽しんでいた。
気に入った作品にはレコメンドというカタチでコメントを書くことができるんだけど、いつからか狂ったように大量の作品にレコメンドをつけまくる輩が現れた。なんでそんなことをするのかというと、自分の作品にレコメンドしてほしいからだ。いわゆるレコメンド返し。「曲聴いてないだろ?」とすぐわかるようなコメント。コピペしまくってると即解るコメント。そんなものが溢れかえってそのSNSは終焉を迎えた。それが直接的な原因ではなかったかもしれないけど。
アレも「感情の見えない友達ごっこ」のように見えたけど、目的が明確すぎるからちょっと違うか。いずれにせよ、自分の存在を認めてほしかったり、自分の居場所を渇望したりして、人ってそんなちょっと不可解な行動をとってしまうものなのかもしれない。
不気味すぎる自動はてなブックマーク。
著作者: Vive La Palestina
しかし、問題はそこじゃない。
で、何でこのブログにブクマつけてんの? っていうのが正直わからない。ブクマリストを見ると毎日150~200ちかくブクマをつけて回っていて、何か自動取得ツールか何か使ってるのかなーって思う。(無要の葉)
自動はてブのほうは、感情というか意図がまったくわからなくてホントに不気味だ。すべてのエントリーをブックマークして、しかもブログのタイトルを取り込んでいるのが妙にコワい。せめて無言にしてほしい。これは何の目的でやってるか、ホントにさっぱりわからない。全部をブックマークするなら、そのブログに来て全部読めばいいだけじゃないか。
自分がもし、同じようにはりつかれたらどうする?やめたくはないけど、悩みそう。しかし、自分はこんなふうに人に感情が見えない不気味さを感じさせていないだろうか?無意識に作業化してしまってることやツールで自動化してることが人からどう見えてるか?なんてあまり考えたことないもんな。ちょっと自分の行動も見直してみよう。