母の遺骨を食べたいなんていう気持ちは一生理解したくない。
ホラーっぽいタイトルが気になった。
「遺骨を食べたい」ってすごいタイトルだなと思った。なんというか猟奇的というかホラーっぽい。そういう異常心理を描いた話なのかと一瞬思ったけど、全然違う内容だった。まぁ、そういう世界に興味はないので、ちゃんと内容を知った上で買ったんだけどね。
母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 (バンチコミックス)
- 作者: 宮川さとし
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/02/13
- メディア: Kindle版
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自分の母親だけは絶対に死なないものだとそのときが来るまで根拠もなく思い込んでいたんだけど…(母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。)
母親に限らず、自分を取り囲む人たちがいつか死ぬなんてのは、ちっともリアリティを感じられない。実際に死に立ち会った経験もあるけど、それでも全然実感がわかなかったんだから、まぁ、今元気に生きてる人たちがいつかいなくなるなんて想像できるはずがない。だから「自分の母親だけは絶対に死なないものだと」思い込んでいたという気持ちはよくわかる。
ふと思い返した母の思いやり。
今ならわかります 深夜にしつこく携帯が鳴ることも 遅くまで家に電気がついているということも それがどれだけありがたいことだったのかが 今ならわかります(母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。)
これを読んだとき、15年ぐらい前のまだ実家から通勤していた頃のことを思い出した。そのころ、日が変わってから帰宅することが珍しくなかったけど、どれだけ遅くなっても家に帰ったら電気がついてた。そっとドアを開けると、リビングの床で毛布1枚かけて爆睡してる母がいた。
「こんなところで寝てたらカゼひくで」と起こそうとするんだけど、なかなか起きない。やっと起きたかと思ったら、眠そうにふらふらしながら、ラップしてあった料理を電子レンジへと運ぶ。ボクがメシを食いはじめると、母は椅子に座ったまま居眠りをはじめる。
もうちゃんと寝室で寝ててくれていいよ、と何度も言ったけれど、ボクが実家にいる間、母はこんな生活を繰り返していた。そして、5時ごろには起きて犬の散歩に行き、そのあとみんなの朝食の準備をしてくれて、みんなを送り出してから、自分も仕事へ向かう。ボクがこんな生活を強いられたら、あっという間にギブアップしそうだ。
改めて思い返してみると、感謝の気持ちしか浮かんでこない。だけど、あのころは世話しすぎな母を疎ましく感じることさえあった。あからさまに文句を言うようなことはなかったと思うけれど、なんだか自分の気分次第で不機嫌に接してたことはあったかもしれない。
ずっと実感せずにいたい言葉。
じっくりと語られる母親との微笑ましいエピソードと消えゆく命の物語を感情移入しながら読み進めていくと、耐え切れなくなって少し涙がこぼれた。亡くなった後も母を失った寂しさとこれからの覚悟を伝えるじわじわと心をゆさぶる言葉が綴られる。
親の死には子供の人生を動かす大きな力がある。悲しい悲しいと泣いていても気がつけば新しいことが動き始めたりするものなんだ。(母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。)
いつかこの言葉を実感するときがくるのかな。そんな瞬間はきてほしくないとどんなに願ってもムリだよなぁ。今は正直言ってちょっとこわいと思ってしまう「遺骨を食べたい」という気持ちも理解できる瞬間が訪れるんだろうか。
とにかく、急に両親とメシ食いに行きたくなってきた。ちょっと美味い店を探してみようっと。