はじめて和食を真剣に考えてみて、カルパッチョが人の名前だと知った。
あー、和食食いてえ。贅沢なことを言ってるとわかってるけど、あえてもう一度言う。和食が食べたくて身悶える。いや、そこまでではないか。モルディブの料理は肉、魚、野菜、卵と多様で美味しいんだけど、やっぱり味が濃くてずっと食べてると胃が悲鳴をあげはじめてきた。白いごはんが恋しい。味噌汁や漬物をこんなに欲したことはないかも。
こんなときしか和食について考えない気がするから、Wikipediaを読みながらちょっと和食と向き合ってみることにする。余計に和食が恋しくなって自爆するよするようなするような気がするけど、ボクはM属性なので大丈夫だ。
ユネスコの無形文化遺産に登録された和食は、「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」「栄養バランスに優れた健康的な食生活」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「正月などの年中行事との密接な関わり」である[3]。(日本料理・Wikipedia)
「日本人はおいしいものを探しその持ち味を味わうことを第一としており、おいしくないものに手を加えてまで食べたいとは思わなかった」とその調理の「消極性」が表現されることもある[12]。これは濃厚な調味料を使い「積極的」に調味したフランス料理や中華料理と比較すると明白であり、豆腐料理における冷奴や湯豆腐に対する麻婆豆腐といった例をあげることができる。(日本料理・Wikipedia)
日本においては、生の牛ヒレ肉の代わりに、マグロやカツオ、サケなどの刺身を使用したカルパッチョが和洋折衷料理(西洋料理の日本風アレンジ)の代表例となっており、その創作者はレストラン「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の落合務だといわれている[1]。カルパッチョの発祥国イタリアにおいても、世界的な刺身ブームの影響を受け、生の魚肉を使ったカルパッチョが多くなってきている。(カルパッチョ・Wikipedia)
むむ。もともとカルパッチョって生の牛ヒレ肉を使うものだったのか。魚を使うのは日本アレンジだったとは全然知らなかった。ということは、昨日食べたカルパッチョも昔からのモルディブ料理ではないということなのかなぁ。日本のアレンジ料理なら全然適切なたとえじゃないし。残念。
イタリアの画家であるヴィットーレ・カルパッチョが薄切りの生牛肉にパルミジャーノ・レッジャーノをかけた料理を好んだことから、その料理は彼の名を取ってカルパッチョと呼ばれているという説がある。(カルパッチョ・Wikipedia)
でも、カルパッチョが人の名前だったというムダ知識を手に入れた。いろんな説があるけど、ヴィトーレ・カルパッチョという画家の名前が由来なのは確からしい。でも、画家なのに作品より好んで食べた料理のほうが有名ってのは、本人が知ったら切ないかもしれない。
カルパッチョがどんな絵を描いてたのかが気になって調べてみた。ううむ。絵についてコメントできるセンスを持ち合わせていないのが残念すぎる。
カルパッチョ「二人の貴婦人」と犬たち : ヴェネツィア ときどき イタリア
こういうことをしてるから、ネットサーフィンしてるとあっという間に時間がすぎるんだよなぁ。話を和食に戻そう。
多くの日本料理が米(および日本酒)に対する副食としてデザインされており、炊飯米と合わせて食べたときにちょうど良くなるように塩味が調整される傾向にある。(日本料理・Wikipedia)
そうそう。これでんがな。和食を語るなら米は外せない。今猛烈にほかほかごはんを箸で食いてえもん。たぶん、今ならおかずなんかいらない。白米だけでガツガツいけそう。白米と合わせたときにちょうどいい塩味かぁ。なるほどねー。
あー、やっぱり自爆行為だった。余計に和食食いたくなった。Wikipediaには、まだまだ気になることが書かれてるんだけど、これぐらいにしておく。帰国したら、しっかり和食の素晴らしさを満喫することにしよう。毎日を彩る食文化ってホントに大事だなぁ。