ぜったいに謝りたくない!と意地をはった夜を思い出す。
子どもに「謝りなさい!」と言っていませんか? - スズコ、考える。
これを読んでいて自分の子どものころのことを思い出した。
今はもう条件反射的に「すいません」「ごめんなさい」とペコペコ謝る人になってしまったボクだけど、幼いころはなかなか謝らない性分だった。何十年も前の話だから事細かには覚えてはいないけど、お約束のパターンがあったのは覚えてる。
①ボクがなにかをしでかす。
②父に殴られて正座させられて説教がはじまる。
③ひとしきり説教が終わったら「謝れ」攻撃がはじまる。
④頭ごなしの説教に納得がいかず、ボクは謝らない。
⑤ずっと正座させられるか、外へ放り出される。
こんなことをしょっちゅう繰り返してたなぁ。ボクは自分がやったことについては即反省してたけど、すぐ殴られるのが気に食わなかったし、そのあと続く頭ごなしの説教にどうしても納得がいかなかった。
一緒に怒られてた弟がさっさと謝って許してもらっても、母が「さっさと謝ったら許してもらえるんやから」とささやいてきても、ボクは謝らず、何回か朝まで正座し続けたこともあったなー。
そんなこんなで思うことは、殴るのはもってのほかだけど、やっぱり頭ごなしにいきなり「謝りなさい!」って叱りつけるのはよくないんじゃないかなぁってこと。
その罪の重さとか、謝るべき相手の状態とか、もともと謝ることができる子なのかどうかとか、考えなきゃいけない要素はたくさんある。それから、親が普段からちゃんと躾ができてないことを棚に上げて、人前でだけ急に厳しく叱りつけたりするとかってのもなんかありそうな気がするなぁ。
こんなことを書きながら、ふと「罪悪感」ってのをどうやって教えればいいんだろう?と難しい疑問が頭の中をぐるぐる回り出した。こういうときはとりあえず謝罪しとけばいい的なサイコパスみたいな人間が育つのは困るしなぁ。そこまで思い悩まなくても、子どもはちゃんと学んでいってくれるもんなんでしょうか?
ううむ。ボクにはまだまだ人の親になるのは難しそうだ。
今だから思えることだけど、父もきっといろいろ思い悩んだんだろうなぁ。
ずいぶん昔のことをこんなところでネタにしてごめんなさい。あのころすぐにボクを殴っていた父の面影は今はないし、ボクも素直に謝れる大人になりました。そんなことで時の流れを痛感したりするのでした。