働くことは、自分を試すことである。

自分にとって働くことってなんだ?
 
いぬじんさんの一連のエントリーを読みながら、いろいろ考えたけれど、そう簡単に答えは出せなくてなかなか書けずにいた。
 
マズい。このままでは非常にマズい。だって、ボクは「○○さんにとって、働くことってなんですか?」といつ職場で聞かれてもおかしくない立場にいる。そんなとき「そりゃあ、まぁ、なんてったって金やで、金!働くことは、金を稼ぐことに決まってるやん!」と返したら、どう思われるだろう?……全然間違ってないけど、はっきりいって全然面白くないじゃないか。
 
ということで、ちょっと本気出して考えてみることにする。
 
 
 
そもそも、「努力をして成長すれば、輝かしい未来が待っている」とか「お金をちゃんと貯金していれば老後も困らない」とか「ローンを組んで家を買うのが家族思いの良い夫」とかいうのも、基本的には「ウソ」である。(犬だって言いたいことがあるのだ。)

残念なことに、ボクはウソだと気づいていながらのっかって楽しんでいくたくましさを持ち合わせていない。バカみたいだけど「努力は報われる」と信じ続けてないと、がんばれないんだよなぁ。誰がウソだと言っていたとしても、自分の中では真実であってほしい。

 

毎日のようにいろんな問題が起こってボクは試される。人から相談を受けることで、それに応えうる力を試される。面白くない仕事、理不尽な要求、無責任極まりない人の行為や言動に忍耐力を試される。しょっちゅう訪れるやる気消沈の波をどう乗り越えるか試される。

 

試されたことすべてを鼻歌交じりにこなしていければいいけど、うまくいかなくてくじけそうになることもしょっちゅうだ。それでも、自分の可能性を信じて試し続けていきたい。だから、ボクは明日も会社へ向かう。

 

そんなこと言ったって、金を貰えなかったら仕事なんかしない。ただ、明らかに報酬以上のことを試されることがあっても、それでもボクが仕事に向かうのは、やはり「努力は報われる」という自分の中の真実を信じているからだと思う。

 

だから、ボクにとって働くことは、自分を試すことである。