【文学少女】「人生に死にたがってる暇なんかない」と言えるシアワセをかみしめる。

 

以前、ボクはなぜか死にたがる人を引き寄せていた。今まで何人の人から「死にたい」という言葉を聞いただろう?最近はあまり考える機会がなかったけれど、“文学少女”と死にたがりの道化(ピエロ)を読んでいると、ふとそんなことを思い出してしまった。

けどやっぱり死んだらダメなんだ
今はうまく説明できないけど きみが生きる理由を探す手伝いをするから!
だから死ぬのはもう少し待って!もう一度生きて!
一緒に考えるから 一緒に悩むから! それならぼくにもできるから!(“文学少女”と死にたがりの道化

なんだかこれに似たような言葉を発したことが、過去に何度かあるな……。さすがに心葉と千愛みたいな屋上の攻防は経験ないけど、夜通し説得めいたことを続けた日々もあったし、「バイバイ」と電話を切られて焦って新幹線に飛び乗ったこともある。もうずいぶん前のことだし、今となっては本当にあったことなのか疑わしくなるほど、現実感はないけれど。

 
そのとき、ボクにはわからなかった。そりゃ、人生なんかうまくいかないことのほうが多いくらいだけど、それでも、ボクにとっては、何がどうとは言えないくらいアタリマエに人生は捨てるには惜しいモノだったからだ。
 
だけど「アタリマエ」の力は弱すぎて、油断すると死にたがる人の絶望に飲み込まれてしまう。ボクは自分を保つために必死に楽しいことを探したりしていたっけなぁ。
 
それから何年か経って仕事でどうしようもないくらい躓いたボクは、死にたがる人の気持ちがわかるようになった。本当は誰も死にたがってなんかいなくて、自分が生きている意味がわからないまま、ただ時間を浪費するように過ごす日々が辛すぎるんだろうとボクは思うようになった。
 
天災や病によって、生きたいと強く願いながら、誰かに心から惜しまれつつ命尽きる人たちがいる。なぜ、こんな人が死ななければならず、ただ、息を吸って吐いているだけのような自分が生かされているんだろう?そんなふうに考えてしまうこともあった。かなりヤバい状況だ。
 
そんな真っ暗なトンネルをどうくぐり抜けて、どうやって今に辿り着いたのかは、正直なところ自分でもよく解ってないんだけれど、やっぱりトンネルには入口があれば出口もあるらしい。トンネルをとぼとぼ歩いてる最中は「きっと、この先は崩落したりしてるんだ!」とか何の根拠もなくネガティブなことを考えてしまいがちだけど(苦笑)
 
たぶん、人生に死にたがってる暇なんかない。自分が生きてる意味をちゃんと解ってる人なんて、少数派じゃないのかなぁ。「アタリマエ」に生きていて、そんなこと考えもしないという人がほとんどなんじゃないだろうか。まぁ、これは今だからそう思えるんだろうけど。
 
どうも話が“文学少女”の感想からはかなり遠のいてしまったから、話を少しだけ戻そう。
 
心葉は「一緒に悩むから死ぬのは待って!」と言い、遠子先輩は「人間失格しか読まずに死ぬな!」と言って死にたがる千愛を説得する。はっきり言って言葉にするとめちゃくちゃだけど、大事なのは内容じゃなく必死さだ。
 
千愛は「人とは違う異常性」に耐え難い孤独を感じてきたから、なんだかワケは解らなかったとしても、2人が必死に涙ながらに自分の手をつかんで生きろ!と言う、その行為が理屈じゃなく、千愛の心を動かしたんだろう。現実はもっと複雑かもしれないけれど、1人でも2人でも自分の存在を認めてくれる人がいれば、救われることもあると思う。
 
なんにせよ、劇場版アニメだけを見て“文学少女”を解った気になるのは間違いだとはっきりわかった。千愛がこんな深すぎるキャラだったなんて素直に驚いたし。そろそろ原作のラノベにも手をだしてみようなぁ。
 
こりゃ、今更ながら“文学少女”に完全にはまってしまったな。