ゾンビがもたらす日常の崩壊ってワクワクしませんか?

どれだけゾンビがスキなのか再確認してみた。

ボクはゾンビがスキだ。

 
いや、違うな。言い切ってみたけど、何か違う気がする。別に腐った肉体を引きずって歩くおぞましい生き物がスキなわけじゃないもんな。ウォーキング・デッドに出てくるミショーンみたいにゾンビをペットにするとか絶対ムリだし。
 
でも、ボクにはゾンビに惹かれているとしか思えないセンサーが備わっている。その裏付けとなるボクが興味を示した作品群で比較的新しいモノをちょっとピックアップしてみる。
 
まずは海外ドラマのウォーキング・デッド。今1番楽しんでるゾンビ関連作品。こんなクオリティのものがドラマとして楽しめてしまうのは、スゴいことだと思う。
 
次は夏頃に映画館に足を運んだワールド・ウォーZ 。元々はゾンビ映画とは知らずに気になってた記憶がある。みたことないようなゾンビの洪水に驚愕したっけ。
 
次にコミックのアイアムアヒーロー。ゾンビを題材にしたコミックとしては、個人的に今までで1番面白いんじゃないかと思ってる。まぁ、まだ未完だからわからないけれど。
 
 
そして、アニメ化された屍鬼。元々はコミックの原作者藤崎竜のファンだからというのがきっかけなので、厳密にはゾンビセンサーにひっかかった作品ではなかったりする。
 
 
最後は下手だけど、大スキなゲームのバイオハザード。だいたいはクリアする根気がなくて途中で放り出してしまうけれど、どうしてもやりたくなってしまうゲームのひとつ。
 
改めて確認してみると、ボクのゾンビセンサーはなかなか多方面に向けて機能しているなー。小説で挙げられるモノがなかったのは残念。アニメで取り上げた屍鬼は小説を読んではいるものの、ちょっと難航してて読了してないから、今回は外している。
 
というわけで、そろそろ本題のゾンビがスキと言い切ってはみたものの何かが違うと感じた要因を探りながら、じゃあボクがゾンビに惹かれるのはなぜなのかを語ってみることにする。
 

ゾンビも積もれば絶対絶命。

ゾンビは1体しかいなかったら自分でもなんとか倒せそうな気がする。昨今は動きが俊敏なゾンビがアタリマエ化してるから、そう簡単ではなくなってきてるけれど。(ゴキブリにすら怯えるボクがホントに倒せるだろうか?という疑念もある)
 
しかし、人間の数だけどんどん増殖していくのがゾンビの恐ろしいところ。これによって、楽勝状態と絶体絶命状態の緩急を自在にコントロールできるし、わかりやすくて主人公に感情移入しやすいというのがゾンビ作品の面白さと言える気がする。
 

ゾンビがもたらす日常の崩壊にワクワクしてしまう。

こう書くと、よくワイドショーなんかで取り沙汰される殺人事件を誘発する有害作品がどーのこーのという議論を思い出してしまうけれど、ボクが惹かれるモノはちょっと違う。
 
別に自分が殺傷願望を抱いてるわけじゃなく、ゾンビがもたらす日常の崩壊ってなんだかワクワクするじゃないすか。
 
普通の近所のおばさんが、罪悪感とか感じる余裕もなく、生き残るために必死でナイフをふるう。そんなあり得ない光景にボクは見入ってしまうらしい。あと、荒廃した街並みとかもいいんだよなぁ。なんか書きながら自分はちょっと変態じみているような気もしてきた。やばい。
 

大切な人が人間でなくなる葛藤に震える。

ゾンビストーリーの定番だけど、自分の家族や恋人、友人がゾンビ化してしまって「ダメ、私にはできない!」的な葛藤が生まれるのも魅力のひとつ。即ゾンビ化するわけじゃないから、切り捨てる決断に悩む時間がたまらなく切ない。そんなシチュエーションも含めて、極限状態で描かれる人間模様にボクは惹かれてしまう。
 

ゾンビは美しくないし、いてほしくない。

というわけで結論。ボクはゾンビのグロテスクな造形に魅力を感じてるわけじゃなく、その存在によってもたらされる秩序の崩壊とか人々の葛藤といったドラマに惹かれているわけだ。
 
こんなに惹かれながらも、もし、ゾンビのいる世界に自分が放り込まれたとしたら、ボクはできるだけ痛みなく、苦しみなくさっさと死んでしまいたい。映画やドラマのキャラクターはほぼ例外なく必死に生きようとしてるけど、ボクはあんな世界で生き抜ける気がしないもんな。
 
それにしても、何故こんな年の瀬にゾンビについて熱く語ってるんだ?まぁ、急に気になったんだから、しょうがないか。
 
こんなこと書いてる人もいて、ちょっと安心した。ボクはまだまだマトモだ。
 
アンデッドには崇高な何かがある―。彼らは美しく、そして恐ろしい。腐った肉体をひきずって歩き、生きる者を見境なく殺す彼らは恐ろしいが、現実にいてほしいと思わせてしまう彼らは美しい。(Kotaku JAPAN)
いやいや、いてほしくないし。アナタの美的センスはおかしいです。