自分の生き方を語るのに正常か異常かなんてのは、二の次でいいじゃないか。

ボクにはやりたいことがたくさんある。ほぼ日手帳を開けば、70個ぐらいやりたいことが書いてある。ただ、それらは夢と呼べるような大袈裟なモノじゃなくて「ウォーキング・デッドを見たい」とか「あたらしいクツがほしい」とか超くだらないことが書いてある。じゃあ見ろよ、買えよと言われそう。

そんないいかげんなボクとは真逆にとても生真面目に「やりたいこと」に向き合い、考えて語る文章が目に入ったので、ちょっと思うところを書いてみる。

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やりたいことが何もなくても、劣ってるわけでもなんでもない。正常だ。「彼ら」が何を言おうが、耳を傾ける必要はない。ただ、人種が違うだけなんだ。そこだけは覚えていてほしい。

言いたいことはとてもよくわかるし、共感するものの「耳を傾ける必要はない」と言いつつ正常か異常かという二極化に囚われているのがちょっと気にかかる。というのも、ボクは昔「オマエは何かを成し遂げてやろうという気概がないのか?なんのために、何を思って生きてるのか?」とさんざん上司に言われたことがあって、そのときはやりたいことを見つけられない、成し遂げたいという思いがない自分を異常だと思っていたし、なんのために生きているんだろうという思いが頭の中をぐるぐる回っていたからだ。

正常か異常かで論じるかぎり、誰かの価値基準で生きることになってしまう。そんなものはとりはらって「ただ人種がちがうだけ」と言い切ってくれたなら、ボクの中にはすっと入ってくる主張になっただろうなぁ。

夢を語る人は生き生きしていて、つい劣等感に襲われそうになる。しかし、ボクにとっては「仕事で何かを成し遂げる」ことより「週末に奥さんと映画を見に行く」ことのほうがやりたいことなのだ。志の低いつまらないやつだなと言われたとしても、それが自分なんだからしょうがない。

そんなささやかな「やりたいこと」をひとつずつ積み重ねていって、なんとなく幸せな日々だったなぁと振り返れたらそれでいいとボクは心から思っている。生きて満足するためにやりたいことをやる。だから、命懸けでやりたいことをやるなんてのはありえない。

自分が満足できるかどうかが大事で、正常か異常かなんてのは、二の次でいいじゃないか!ということを言いたくて長々と書いてしまった。まぁ、ニュースでこのブログが犯罪者のブログとして流されるような異常な行為に及んじゃいけないとは思うけどね。

そんなことがあったら「正常か異常かなんてのは、二の次でいいじゃないか」とわざわざ誰かが妙な声色で読み上げて、ことさらボクが偏った人間であるかのように扱われるんだろうなぁ。変なツイートを取り上げて異常性を3割増にされたり、頭悪そうな写真をどっかから持ってこられたりするんだろうな。

いやー、やっぱり正常か異常かって、ちょっとは気にしたほうがいいかも。うん。ちょっとは気にしよう。