何をどれだけつらいと感じるかは、人によって全然ちがう。

人によって耐久力は違う。打たれ強さと言った方がわかりやすいだろうか?同じ言葉を浴びせられたとしても「なにくそ!」と闘争心をむき出しにして向かっていく人もいれば、死にたいような気持ちになる人もいるだろう。

だから、人が人のつらさを推し量ることなんかできない。ボクだってときどき「なんだ、そのぐらいで」ととっさに思ってしまうことがある。でも、その度に慌てて打ち消す。

いやいや、彼にとってこれはとてもつらいことなんだろう。何も理解できてないし、しようともしてないくせに彼のつらさを判定するなんて傲慢すぎるだろうと。

そんなことをしょっちゅう考えてるボクには、なかなかスルーしがたい文章をみつけた。 精神的に病んでしまって休職して、復帰した人に対してかなり辛らつな言葉を浴びせかける内容だ。

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ところで図々しく休み、図々しく復帰し、図々しく生きているあなたの精神のどこが弱いのだろうか?

理解できないし、理解したくもないという嫌悪感あふれる文章だ。それにしても「図々しく生きている」は言いすぎだろう。生きる資格がないとでも言いたいんだろうか。

もしかしたら、ここで語られてる相手がとんでもなくふてぶてしい態度をとっている可能性もある。でも、そんな極端なことを想定すると何が言いたいのかわからないことを書いてしまいそうなので、今はその可能性は除外して考える。

図々しく平然としているようにみえたとしても、休職に至ったような人はそう簡単に全快してはいないだろう。たぶん朝起きて出社することだけでも大変で、必死で自分を奮い立たせて会社へと足を運んでいることだろう。

誰もが生きていくためにつらい日々を耐え忍んでる。なのになんでオマエだけ!と思う気持ちは、ちょっとぐらいはわかる。でも、冒頭に書いたように人によって打たれ強さは異なる。何をどれだけつらいと感じるかは人によって全然ちがう。

誰だってある日突然自分で自分をコントロールできないような状態に陥ることは有り得る。精神的なものでなくても、身体を壊したり、事故で大怪我したりなんてことは、絶対にないとは言えない。そんなとき、「図々しく休み、図々しく生きている」と言われたなら、どんな気持ちになるだろうか。

もしかしたら、そんなふうになったら、誰に何を言われようとしかたがないという人もいるかもしれないけど、それではあまりにも悲しいし殺伐としすぎだろう。もうちょっと人を許して補いあい、支えあって生きていくわけにはいかないのかなぁ。考えが甘すぎるかな。