不安と苦しみと追い続ける何かが、幸せになるためには必要なのかもしれない。

幸せ自慢じゃないけれど。

仕事に行けば、大きなトラブルに見舞われることもなく、上司に叱責されたりすることもなく、人間関係に苦しむこともなく日々がすぎていく。家に帰れば温かいごはんが食べられるし、妻とはケンカなんかしたこともなくおだやかに時間が流れていく。もちろん、孤独感なんか感じることはない。テレビやネットで見つけたほしいものは、そこそこ手に入る。どこかへ行きたくなったら、よほどの遠方じゃないかぎりすぐに行ける。

こんな満たされた暮らしは誰がどう聞いても幸せすぎるだろう。世の中にはツラく苦しい生活を強いられている人たちがたくさんいる。そういう人たちに「何が言いたい?幸せ自慢?ケンカ売ってんの?」とか言われても仕方がないんだけど、今の自分の本音と向き合うためには、誰にどう思われようと空気なんか読まずに現状を見極める必要がある。そんなことは手帳にでも書いて1人でやってくれよと言われそう。いやはや、すいません。ボクはココロの露出狂だから、ブログなんか書いてるわけですよ。

ストレスも時には必要かも?と思い直す。

幸福論   あなたを幸せにする93のストーリー

幸福論 あなたを幸せにする93のストーリー

野心のある人は、めったに手に入らない幸せをいつも追い続けます。でもこういう人にとっての本当の幸せは、常に何かを追い続けること自体にあります。たとえがっかりするようなことがあって気分が落ち込んでも、落ちこむことでさらに幸せになれるのがこういう人です。どうしたら気分を回復できるか、その方法を考えるのに夢中になれるからです。気分を回復する方法を探す行為こそが、この人の気分を回復させてくれます。(幸福論 あなたを幸せにする93のストーリー)

今のボクに足りないモノはこれだな。何年にもわたって、長時間労働やら人間関係やら結婚にまつわることとかに振り回されて、もう思い悩むことがクセになって疲れ果てていたボクは「がんばりすぎないこと」を信条にココロを休めてきたけれど、たぶん、もう十分に休息できたんだろう。

だからといって、また長時間労働の日々に戻ろうとか人間関係を壊そうとか、そんなバカなことは考えちゃいない。でも、課題を設定してそれをいかにして乗り越えるか?と思い悩むようなストレスは時として必要なんじゃないだろうか。めずらしく意識高めなことを言ってみた。こりゃ、なかなかこっぱずかしい。

ささやかな幸せを大事にするのはいいけれど、あまりに簡単に満足感を得られるような状態に浸り続けていると、感情が希薄になっていくような気がする。かといって「もっともっと!」と常に満足しない状況に陥ってしまうと、それはそれでまた不幸だから、バランスが難しいのだけれど。

ただ、こんなことをのんびりと考えていられること自体がとても幸せなことで、その幸せは周りにいるいろんな人たちの支えによってもたらされているものだ。そのことだけはぜったいに忘れるわけにはいかない。

さて!幸せボケの自分に、どんな課題を設定してやろうか。そういえば、今年の抱負ってなんだっけ?