退職したらすぐ死んでほしいなんて思わせないために、できることがあるはずだ。

「普通の幸せ」はハードルが高い?

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著作者: Ian Livesey

ボクはこのブログでも何度か書いているつもりだけど、「男が」「女が」という言い回しがあまりスキじゃない。人の多様な価値観がたった2種類に分類できるはずがないし、その枠組からはずれる人が差別されがちだからだ。まぁ、ボク自身が所謂「男らしさ」をあまり備えてなくて、その当事者だからだろ?と指摘されたら返す言葉がないんだけども。

なのに。こんな本をつい買ってしまった。本の帯に「普通の幸せ」は、今なぜこれほどハードルが高いのか?という言葉が踊っていてつい手にとってしまったのだ。常にささやかな幸せを追っているボクにはスルーできなかった。

それが一般的な日本の夫婦像なのか?

「居場所」のない男、「時間」がない女

「居場所」のない男、「時間」がない女

読みきってから書こうと思ったものの、あまりに情報量が多く、言いたいことがいろいろ浮かんでくる本だったから、小出しにしていってもいいかなと思いながら書いている。だから、今書こうとしてることと、すべて読了してから感じることは少し違うかもしれないけど、まぁいいや。

妻が心の中ではゴミ扱いしながらも、退職後にすぐ死んでほしいと思いながらも、生活が保障されている限り離婚に踏み切らずにいる日本の夫婦像は、海外からはしばしば奇異な目でみられてきた。夫婦愛は建前の世界だが、消費市場は本音の世界である。だから、あえて言えばCMは本音に訴えかけるべく、男性嫌悪表現を過剰に取り入れるのではないのか。(「居場所」のない男、「時間」がない女 第1章 男女の時空間分離がもたらした悲劇)

海外からしばしば奇異の目でみられるぐらい、夫をゴミ扱いしたり、退職後にすぐ死んでほしいと願ってる妻ってのは一般的な日本の夫婦像なの?と衝撃を受けてしまった。やたらテレビからは家族愛が垂れ流されてるけど、アレは幻想にすぎないのか?

いや待て待て、おちつけ。自分の母親で考えてみよう。家事が全然できない父に対する愚痴はよくこぼしてたし、基本的には仲が良いけど口論になる場面も何度か見てきた。しかし、どんなに激昂したり、酒を呑んで言いたい放題言ってるようなときでも父のことをゴミだとか、死んでほしいなんて言ってるのは1度も聞いたことがない。

ボクはそんな中で育ってきたから、妻が夫をそんなふうに蔑んだり、生活を保障する道具として扱うという考え方に免疫がない・・・と言い切ろうと思ったのだけれど、ちょっとひっかかったことがあった。「CMは本音に訴えかける」という記述だ。本の中ではもっとCMの内容も具体的に書かれてるんだけど、消臭剤や洗濯洗剤のCMで「クサい夫」をネタにしたものはよく見かける。そんな生理的嫌悪に耐え得るのは、いつもは夫が家にいないからで、それが退職後には死んでほしいということにもつながるらしい。

何気なく見てて、ときどきちょっと笑ったりもしてるCMにそこまでの妻の本音が投影されているなんて考えたこともなかった。たしかにCMというのは本音で訴えて共感を呼び、購買意欲をそそるもの。ボクもいつか自分の知らないところでゴミ呼ばわりされたり、退職後には即死んでほしいと思われてしまったりするんだろうか。自分だけががんばっているなんて思わないけれど、耐え難きを耐え、仕事に勤しんだ人生の行き着く先がそんなものだったら、絶望しかない。

慢心せずにできることを今からやる。

さもこの本に揺さぶられたように書いてるけど、さすがにこの本を読んだからといっていきなり本気で不安になったり、自分の奥さんを疑ったりする気は実は自分の中には全然なかったりする。ただ、一般的にそういう傾向があるんだとしたら、慢心しちゃいけないとは思った。ただ、仕事だけを一生懸命やっていればいいというもんじゃない。いや、現実にはめっちゃ仕事に追われてどうしようもないときもあるけど、それはさておき。いつかは仕事をしない人生が訪れる。それでも生きていてほしいと思われる人でいたい。そのためにできることは、今この瞬間にだってあるはずだ。

今うちの奥さんは久しぶりに地元に遊びに行ってるけど、帰ってきたときほっとできるようにささっと家の中を片づけておく。そんな些細なことだって、きっと「そのためにできること」だろう。このブログを書き終えたら、さっそくはじめよう。そうしよう。