仕事がうまくいかないのは、誠実さが欠けているからだ。

仕事がうまくいかない話がはじまった。

久々に仕事関係で呑みに行った。急に誘われて週末でもないし、ボクは車通勤だから、車はどうしよう?とか、奥さんの今日の夕飯の都合はどうだろう?とかいろいろ頭をよぎって一瞬躊躇したけど、せっかく誘ってもらった好意をムダにしたくなくて参加することにした。

仕事関係で呑みにいくと、高確率で「仕事がうまくいかない話」がはじまる。仕事がうまくいきすぎて笑いがとまりまへんわー!みたいな話には遭遇したことないなー。ということで、今回もいつのまにか仕事がうまくいかない話へと突入していった。

呑みのメンバーには、システムを駆使して業務改革をはかるミッションを抱えてる若手社員Aさんがいて、まずはどうにも結果が出せず、やる気も消沈して会社での自分の存在価値が感じられなくなってきたという嘆きを口にしはじめた。それは次第に上司が全然アテにならないという、ありがちな話へと展開した。酔った勢いもあって「あの上司に何を言ってもムダ」とか過激な発言が増えていく。

実はボクも去年の半ばまでは、同じミッションを背負っていっしょに仕事をしていたから、大変さはリアルに想像できる。改革をひるまず進めていくには、圧倒的にAさんは経験不足で業務知識が足りないから、相当ハードルが高いミッションに挑んでいると言えるだろう。ボクはほとんど挫折に近いような状態で、このミッションから離脱したから、えらそうなことを言える立場じゃない。

欠けているのは誠実さだ。

話をじっと聴いてる中でミッションの難しさの前に大事なモノが欠けてるんじゃないかとボクは思い始めた。その場にいっしょに居合わせた部長は「仕事への執着心が足りない」と表現していたけど、いきなりそこへ飛躍して叱責しても、腐るだけで好転しない気がする。

ボクがAさんに欠けていると感じたモノは「誠実さ」だ。なんか説教くさいオヤジの理想論に聴こえてしまいそうだけど、やはり人と人が仕事を進めていくうえで、誠実さを欠いてたらうまくいくはずがないとボクは確信している。

「何を言ってもムダ」というけれど、その「何を言っても」の言い方に問題はないだろうか?「言ってもムダ」という言葉には侮蔑のニュアンスがある。本人がそこまでの意識があるかないかは別として。そういう感情は言葉の端々で人に伝わってしまうものだ。

あらゆるアプローチを試そう。

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どれだけの努力をして、どれだけの方法を試して、どこで躓いているのかを上司にポイントを押さえて相談できているだろうか?自分のペースで自分のやり方で「何を言ってもムダ」と腐るのは愚かだ。

どんなアプローチをしても、どうがんばっても、どうしようもない上司がいることもボクだって知ってる。それでも、変えられるのは自分だけだから、ありとあらゆるアプローチを苦悩しながら試すことをやめちゃいけない。まぁ、これは上司に限らず仕事で関わるすべての人に対してかな。

こうして長々とブログに文章を綴ってるボクだってそうだ。こんなところで書くだけ書いて自己満足に浸ってたって意味がない。しかし「誠実さが足りない」なんてのは人格否定にもつながってしまうから、伝えるのはとても難しい。でも、ありとあらゆるアプローチを試すことをやめちゃいけないんだよな。

ボクもがんばろう。