【悪の経典】サイコパスはすぐそばにいるかもしれない。
悪の経典に感じる物足りなさ。
結果から言うと、心に残る種類の映画じゃなかった。巷にあふれるとにかく人を殺しまくるスプラッタームービーと大差ないかな。新世界よりに見られたような「人間とは何か?」を考えさせられるような深さは感じられない。
殺人を繰り返す主人公蓮実の狡猾さが中途半端すぎて、人として許せないけど、なんか抗えない魅力があるという次元にまで到達できてないんだよなぁ。好敵手がいないというのも残念なところで、主人公が狡猾なんじゃなく、周りの人間がバカなんじゃないか?というふうに見えてしまう。それらしき存在は一応いるものの、ハラハラするような心理戦はなく、あっさり蓮実が勝利してしまう。
もうちょっと面白くできたんじゃないだろうか?いや、貴志祐介さんに期待しすぎかもしれないけれど、原作ではもっと登場人物たちの掘り下げが行われているのかもしれない。今度、原作を読んでみようかなぁ。
サイコパスとはなんなのか?
映画の感想としてはそれぐらいなんだけど、ひとつ気になったことがある。主人公蓮実のような人のことをサイコパスというらしい。他の人の悪の経典に対するレビューを見ていて目についた言葉だ。
サイコパスとは何か?ちょっと調べてみた。
少なくとも確率論で言えば、一度もサイコパス(あるいはそれに極めて近い人物)と関わらないで人生を終える人の方が少ないと言って良いで しょう。そして、サイコパスの特徴を一言で表すなら、良心や善意を持っていないということです。
私たちがコウモリのように音波で周りの状況を把握したり、猫のように暗闇で物を見ることができないのと同様に、サイコパスは良心や善意というような 感覚を持つことができません。(サイコパスとは何か?)
はっきりいってこわい。怖すぎる。全く良心のカケラもないような人に関わらないで過ごせるほうが稀とか言われると、人間不信に陥りそうだよなぁ。悪の経典は娯楽だから、分かり易すぎてなんだかつまんない、とか能天気なことを言ってられるけどね。
でも、先天的にそういう性質で生まれてくる人はあまりに不幸で孤独すぎるなぁ。ボクがこれから人と共感することなく、愛情を持つことなく、生きていかなきゃいけないとしたら、人生は苦行でしかない。ただ、サイコパスたちにとっては、それを自覚することができないから別にツラくはないのか。
ボクは別に信仰心の強い人間じゃないけれど、もし、神様がいるんだとしたら、どういう意図でサイコパスを生み出したのか聞いてみたい。単なる気まぐれだとしたら、あまりに悪趣味だ。