やるべきことしか見えないのはツラすぎる。

明日を迎えることを望めないなんて悲しすぎる。「それでも生きることは義務ですから」と寂しくつぶやく人にボクは言葉を失ってしまった。

 
別に基本的人権の尊重なんてのを意識するわけじゃないけれど、ボクは生きることは権利だと考えていて、誰もが自分らしく生きようとする権利があるはずだと思っている。
 
だからタスクについて「やるべきこと」は何か?「やりたいこと」は何か?を明らかにして、やるべきことを粛々とこなしながら、できるだけやりたいことに時間をかけていきたいと考える。こんなことは当たり前だと思っていて、誰にでも共感される考え方だと思っていたのだけれど、そうではないことを知ってしまった。
 
生きることは義務だと考える人に「やりたいこと」は見つけられない。すべてが「やるべきこと」だから。
 
すべてがやるべきことだとしたら、そりゃ明日が来ることなんて望めないな。って、いやいや、そこで納得してちゃダメだろ(汗)
 
本当に「やりたいこと」が何ひとつないなんて人はいないはずだ。ただ、ボクには計り知れない生い立ちや人間関係の中で、義務感を強く植え付けられてそれに応えようともがいてるうちに、自分らしさがわからなくなってしまったんだろうとボクは推測する。
 
指導というのは、自分の価値観を押し付けることじゃなく、人を知り、その人が自分らしさを発揮して最短距離でゴールに辿り着けるやり方を指し示すことだ。
 
難しいことだけれど、だからこそ面白いとも言える。まだ、道筋は見えないけれど、諦めずに向き合っていこう。