「読者になる」がもたらす偶然の出会いがうれしい。
「読者になる」機能について考えてみた。
はてなブログには「読者になる」という機能がある。自分から読みに行かなくても、お気に入りのブログの新しい記事がダッシュボードやらメールで配信されてくるのは便利。書く側にしてみれば、ひとつの記事で通り過ぎるんじゃなく、次も読もうとしてくれてるっ!ってことで、めっちゃモチベーションが上がったりもするわけだ。
最近なんだか気になるブログたち。
ぬかのことを色々調べたり、実際にやっていると、生き物なんだなぁっていう気がしてきますね。毎日少しずつ空気を入れ替えないとだめになるし、そういうのをサボるとカビが生えたり酸っぱくなったり、苦くなったり。まるで機嫌をそこねちゃうみたいですね。けど、カビをとってあげたらまた生き返るし、旨味成分の昆布や椎茸を加えると酸っぱくなくなるし。ご機嫌をとればまた美味しくなってくれるところが憎めません。(かよこのぬか床日記)
ボクは正直いって、ぬかにそんなに興味があるわけじゃない。でも、めいきんそさん (id:meikinso)にあまりにも楽しそうに「ぬかは生き物です」なんて言われると、なんというか仕事で疲れた心が癒されるのだ。しかも、ボクがスキなわんこまで登場するのがずるい。明らかに日記だし、しかもぬかのことしか書いてないんだけど、なんか気になってしまう。ブログに日記書くのが何が悪いってんだ。
きっと「敷き布団と掛け布団が縫い合わされているから布団から出られない(ので会社休みます)」とか、「布団から出たはいいけど、駅から家までの道に落としてきたパン屑を小鳥に食べられてしまって道がわからない(ので会社休みます)」みたいな言い訳を考え続けて、でも妙案が浮かばずに仕方なく電車乗りましたみたいな風情の三割たち。大変ですね。(悩みは特にありません。)
harunaさん (id:haruna0109)の書く文章は何がどうとは説明しづらいんだけど、とにかく面白い。どこからそんな表現が出てくるの?というか、文章に独特のリズム感があって、これって真似できるようなものじゃないよなぁと嫉妬心すら感じてしまう。
Mr.Childrenの「つよがり」は優しい男の歌じゃない - それから
優しいだけの男の歌詞なら誰でも簡単に書ける気がする。そうじゃなくて、桜井さんは優しさの中にとてもさりげなく身勝手さを滲ませた歌詞を書いたのだ。それは「人間を書いている」ということじゃないだろうか。私はそのことに気づいた時、なんだかとても嬉しい気持ちになった。歌の中に人間がいるという喜びが、私を嬉しい気持ちにさせたのかもしれない。(それから)
ココルカさん (id:CocoLukas1225)の歌詞の読み方がスキだなぁ。誰にでもできる読み方じゃないなぁという気がする。「人間を書いている」ってのは、桜井さんを評するのにこれ以上ない表現だと思う。それから、ボクも好んで使う「かもしれない」を使われる方なので親しみやすさを感じるところもあるな。
はてなブログは書いてたのしいし、読んでもたのしい。今のところ、ボクの中では書く楽しさのほうが少し優ってるんだけど、書くほうに時間をかけすぎると読む時間がとれなくなる。もちろん、はてなブログだけでボクは満たされるわけじゃないので、他にもやりたいことはいっぱいあるし、仕事も忙しくなってきた。あぁ、時間が足りない。