何者にもならなくても、ブログを書くのは楽しい。

はてなブログの公式トピックでサードブロガーが取り上げられて、ちょっとした祭りになった。
 
 
しかし、Twitterが日本中に浸透して誰でも手軽に自分の意見を表明できる世の中になった今こそ、自分のことをしっかりとたっぷりと書き綴ることのできるブログの存在が重要になっているのではないでしょうか。そういったブログ・ルネッサンスの気運を感じてください。ブログの未来がここにあります。(週間はてなブログ
ブログの未来とか言ってるよ、すげえな!とボクは素直に感嘆した。
 
自分もinujinさんが提唱されたサードブロガーに魅力を感じて反応してたから、なんだか単純にうれしかったわけだ。
 
 
 
ただ、少し経って冷静に考えてみると、たぶん、サードブロガーっていうのは、ブログの未来を背負って立つとか「サードブロガーにオレはなる!」と言って羨望し、目標に掲げるような存在とは違うんじゃないだろうか?という気がしてきた。
 
 
 
しかし、三番目のブロガーというのは、もう一番の席も、二番の席も、とっくに埋まっているところにやってきて、ずっと立ちっぱなしでいる人だ。(犬だって言いたいことがあるのだ。)
ボクの心に残ったこのコトバについてもう一度考えてみる。
 
サードブロガーはずっと立ちっぱなしでいる人であって、埋まっている席が空くのを狙って椅子取りゲームに参加する人じゃない。そこに参加するなら、次世代アルファブロガーという表現のほうが適切な気がする。
 
たぶん、アルファブロガーに憧れて失望して、ただブログを書くという純粋な楽しさを見失ってしまったら、もったいないよ、ということを伝える表現として「サードブロガーになる」というあまりにも魅惑的な表現が生まれてきたんじゃないかなぁ。
 
空席があっても、そのへんで地べたに座り込んだり、寝そべったりしてる自由人がサードブロガーなんじゃないだろうか。
 
 
 
それでも、かけがえのないあなたという存在だけが感じとり、書きたいと思ったことを、あなたは書く。(犬だって言いたいことがあるのだ。)
これがすべてじゃないかなぁ。
 
誰もががかけがえのない存在なんだから、別に何者にもならなくていい。
 
っていうか、別に自分でなんだかカッコいいと思う名前を勝手につけて、名乗っちゃえばいいんじゃないでしょうか?