ささやかなシアワセにつながるライフログで、今を犠牲にしてはいけない。

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何処かへでかけたら、なにはともあれまずはチェックイン!どこにいるかをそそくさとツイート!そしてスマホで写真をとりまくる。美味いモノを目の前にしても、食べるのは二の次で、やっぱり写真をとりまくる。いっしょにいる誰かは置き去り、美味しい料理も冷めていく。

 

と、ここまで極端ではないけれど、ライフログを残すのがスキなボクは下手すると、こんな状況に陥りそうになって、気がついていかんいかんと思い直す。そんなボクにとって教訓と言えそうなことがこのブログに書かれてた。

ライフログは過去の平凡な記憶を喜びに変えるが、リアルタイムの喜びを減らす | パレオな男

 

 

旅行やイベントの写真や記録を残しまくっていると、あとでその出来事そのものを思いだせなくなり、ときにはニセの記憶が作り出されるケースもあるとか。これは、カメラや記録に集中するせいで意識が現在に向かなくなり、現場の体験を味わう能力が下がってしまうのが原因らしい。確かに、旅行先で写真を撮りまくってたら、マインドフルにその場を楽しむことはできないですもんねぇ。(パレオな男)

幼いころは当然ライフログなんて残していなかった。でも、友達としょーもない遊びに夢中になって過ごしたことや、入院したとき、本を読み聞かせてくれた親のこととか、今でも鮮明に思い出せる。幼いころの話じゃなくても、B'zのライブにはじめて行ったときのあの感動と興奮を忘れるハズがない。

 

本当に覚えていたいことは、忘れようとしたって忘れない。

今この瞬間をめいっぱい楽しんで、そのカケラをそっと残しておく。で、後からそのカケラを手にとってニヤニヤする。それが正しいライフログのあり方だよなぁ。

 

ほぼ日手帳をどう使うか?もそうだし、こうしてブログに文章を綴ることだって、ある意味ライフログの一種だ。これらは日々を楽しむツールなのに、時々、それを使いこなすことに執着しすぎて、うまくいかないと思い悩んだりもする。

 

なんでもない平凡な日々の記録が、あとで振り返るととても面白くて、ささやかなシアワセさえ感じられてしまうのがライフログの醍醐味だ。でも、そんなささやかなシアワセのために二度とない今をおろそかにしちゃいけない。

 

写真やログでは残せない、その瞬間の空気をちゃんと感じなくちゃ。